遠い南からやってきた祖先

 一昨年98歳で逝った父が夢にやってきた。

誕生日が3月20日だったので、生きていれば100歳かと先日思ったからだろう。

父は、長い探検旅行から帰った冒険家のように、瞳を輝かせて話をしてくれた。

生前、あの世へ逝って分ったことがあったら知らせて欲しいと頼んでいたことを忘れずにいてくれたのだ。

2万年ほど昔海に沈んだスンダランド(ムー大陸とも呼ばれている)の住民が、ぼくらの祖先だったという。

その頃起こった地球規模の地殻変動で、日本がアジア大陸から引き離されたのを前後して、

スンダランドは跡形も無く海に消えた。ある者はインド方面へ、ある者は南米大陸へ、ある者は北へ逃れた。

日本へ向かった一族は、あまり高度な文明を持っていなかったらしい。もちろん、

何処へ避難しようと、沈み行く大陸からの脱出は着の身着のまま命からがらであった。

多くの者は旅の途中で命を落とし、何代もかけて辿り着いたのは火の島だったという。

日ノ本は、火の源であった。

阿蘇、霧島、桜島、そして富士山でさえ活発な活動の最中で、一夜にして地形が変貌することもあった。

逃げ惑いながら、祖先は安住の地を捜し続けたのだ。

一つだけ忘れずに語り継がれているのが、命を救った一本マストの船の帆柱を未来永劫祭ることだった。

それって、伊勢神宮の御神体のマストのことだろうか?

父の話を聞きながら、あまりの面白さにぼくは夢であることを忘れて、

”ちょっと喉を潤しませんか”と言ってしまった。

たちまち、夢は何処かへ消え失せ、喉がカラカラに渇いたぼくは、

呆然と夜明けの薄明かりが差し込む窓を見ていた。

知りたいことは山ほどある。

父は予告もなしにやってきたので、

次もきっと突然やって来るに違いない。

あの世も輪廻も金輪際信じていない唯物論者が、夢の話を真面目に書いてしまうとは…。

芝居の稽古中に集中力が途切れたら

 6月は竹内緑郎ライブと旗揚げ劇団の演出が続いている。

はて?この集中力の切り替えは何処かで…と思い出したら、

新宿村杮落し公演の演出と月蝕歌劇団の出演が重なって いたのが、

つい2月のことだった。

ライブは6月21日で芝居はその翌週27日からなので、

2月の丸被りに比べて多少気持ちにも余裕がある。

昨夜は18時から稽古に入ったが、ぼくの集中力が90分でプツリと途切れてしまった。

洗面所に行ったりして何とか集中力を取り戻そうとしたが、うまくいかなかった。

21時まで続けたので、あとは演助や俳優に助けられながらであった。

ところがだ!

ボーっと稽古を観ていると、ギラギラした眼で演出しているときには見えなかった俳優の演技が、

違った輪郭を持って見えてくるのだ。これはいい。

観客席でも、ギラギラ舞台を見つめる人もいればボーっと集中力を切らせて観るひともいるはずだ。

そのどちらの人にも面白い芝居が出来たら、最高だ。

当然のことだが、芝居は稽古が命だ。しかも、俳優が集中力を切らしたら稽古にならない。

いくら演出家だからといって、集中力が90分しか保てないとは情けないこと明白、俳優に失礼である。

次回は18時から22時までの予定なので、初めの2時間はボーっとしてみようかな。

俳優や演助が怒るかな。

生きる

 庭の椿の木に巣を張る蜘蛛がいた。

朝露を浴びて煌めいているときなど、

その幾何学的模様と相俟って、それは綺麗だった。

蜘蛛は、定置網を張る漁師のように逞しく思えた。

雨風や鳥に破られては何度も張り替えてがんばっていた。

ある日、その蜘蛛の巣が無くなっていた。

諦めたのか死んだのかと辺りを見ると、

転がって横を向いている空の植木鉢に、立派な蜘蛛の巣が張ってあった。

苦難の果てに安住の地を見つけた流浪人を思わせる蜘蛛は、

美しい巣の真ん中で堂々と獲物を待っていた。

彼は学習したのだろう。

雨風も凌げて鳥の邪魔もされない格好の場所を見つけたのだ。

だが、俯瞰で見下ろすぼくには蜘蛛の行く末がなんとなく気がかりだった。

果たしてそこは、獲物を捕らえる狩りの場所として相応しいのだろうか?

地面すれすれの植木鉢の中まで、蝶や羽虫は飛んできてくれるだろうか?

むしろ、ムカデや蟻に襲われやしないだろうか?

人間同士ならお節介も焼いただろうが、相手は言葉も通じない蜘蛛である。

ましてや、自信満々で引越したのであろう。

干渉は野暮なので心配するのをやめた。

それからしばらく日が過ぎた。

思い出して庭に転がった植木鉢をみると、蜘蛛は干からびて死んでいた。

若者のまなざし

 定例稽古でフォルクローレの講義をしながら、

いつものように脱線に継ぐ脱線。

いつの間にか、ジョセフとハリーの”ジョセフの窓 ”にまで飛んでいた。

脱線しては軌道修正しながら進めた講義は90分の予定が120分を超過。

それでも集中力を絶やさずまっすぐ見つめる若者たちの瞳は何て素敵なのだろう。

向かう道を見失わないで欲しいと いつも思う。回り道はいい。道草もいい。

だが、憧れた夢の世界への道は、決して諦めないでもらいたい。

ぼくが学んできたこと、経験で得たこと、失敗したこと、伝えられるものは何でも伝えたい。

そして、彼らもいつか、ぼくを懐かしみながら次の若い世代に伝えてくれるだろう。

感傷ではなく、ぼくはそんな若者たちに大きな勇気と生きる力をもらっている。

ぼくは、若い日に師匠を見つめたまなざしを今も持っているだろうか?

そう自分に問いかけてみる。決して失くしてはいないはずだ。

若い日の夢は幸運にも次々と叶えられて生きてきた。

まだまだ追いかけている夢もある。

ポケットの中で小さく磨り減っていたとしても、その夢のかけらを握り締めて進む。

それが生きるということ だろう。

ブログと日記

 今更だが、ブログと日記は似て非なるものだ。

子供の頃からの習性で日記を書いているが、

他人に見せるには恥ずかしすぎて毎年焼き捨てている。

ブログは、インターネットを始めた後のことで、まだ十年にもならない。

こちらは、当然のことだが、読まれることを覚悟で書いている。

それに、書いたぼくが消去しても誰かが保存していればすぐに取り出せる。

機密保護法によれば、数十年前のブログの発言を証拠に逮捕することも出来るらしい。

迂闊なことは書けないのである。だから、多くのブログが、今日何を食べたとか何処へ行ったとか、

他愛の無い内容でお茶を濁している。

ぼくもまた、夢の話や芝居の話がほとんどで、政治や経済や事件に関しては発言を控えている。

しかし、ぼくのブログではメッセージを受け付けていないので、どなたに読んでいただいているのか、

読者の姿が皆目見えない。

最近、フェイスブックを始めたのだが、こちらは友だちばかりなのでほとんどが”いいね”となる。

ときどきブログを更新しましたとフェィスブックに載せるのだが、反応は判らない。

もっと面白い話を載せないと!劇作家だろう?といった声が聴こえる。

そう言われると、とたんにブログを書きたくなくなる。こまったものです。 

夏の匂い

 入梅前だというのに、微かに微かに、夏の匂いがした。

気圧の変化に対応できない頚椎の痛みに落ち込んでいた気分が、

すっきりしてきた。同時に、愚図ついていた空に陽の光りが戻った。

梅雨に向かう前のひと時かも知れないが、livi’n is easy だ。

走りたくなったが、極端は良くないのでこれから2,3時間歩こう かと思う。

歩いたからとて何ひとつ解決出来るものはないが、歌は生まれる。

30年間も和訳を諦めて英語で歌っていた曲の歌詞が、一晩で出来た。

6月21日のライブで歌おうと思って、先日ギターの斎藤さんと合わせた曲だ。

コーラスの西本嬢から常々英語の発音を指摘されていたので、

日本語で歌えることで一安心。

ぼくは今まで、夏の絵本という歌を3曲書いている。

そのなかで、著作権協会に登録されているのは、大堀薫さん作曲の「夏の絵本」

♪ もぎたての林檎を ひとくち齧りながら~

口笛吹いて手を振る 少年の頭上に夏がいた~♪

ぼくの作曲で未発表の「夏の絵本」

♪~砂浜を走れ 息が切れるまで 夕日がほら おまえを見つめてる~♪

それに、舞台の劇中歌で神津裕之さん作曲の「夏の絵本」

♪ 雨上がりの虹を追いかけて 裸足で走った~♪

ほかに、夏の絵本から「夏の匂い」に改題した曲もあった。 

歌ってくれた歌手の鈴木一記が20歳で夭折して、あれから40年が過ぎた。

サビの清冽な高音が今も耳に残っている。

♪ 今日の 雨に流されてしまうよ~

君とぼくとの 夏の匂いが~♪

さあ、歩きながら新しい歌を作ろう!

6月21日の竹内緑郎ライブ~会えるうちにおいでよ~

18時30分から新中野スタジオNOVで会いましょう。

 

明日までの命

 明日までの命だとしたら、ぼくはお世話になった人たちに感謝の手紙を書き続けるだろう。

あの人も、そしてあの人も、次々とあがる名前に想いを伝える手紙を書けば、

きっと一日では終わらない。

という事は、今からせっせと書かなければならない。

やりたいことは山ほどあっても、お礼の手紙が最優先だろう。

ほかの、やり残した事は天命だと諦めよう。

そういえば、仏教に他力本願というのがある。

ぼくは、自力で出来ることには限りがあり人は他人の力無しでは生きられないのだ、と、

前向きに解釈している。だから、感謝の言葉を伝えて終わりたいと思うのだ。

本当に運が良くて、ひと様に生かしていただいた人生だったと思う。

その運が尽きたのか、はたまた命のろうそくが尽きたのか、

このひと月、背中の羽根は折れ、神通力も消え失せた。

六壬式占で己を占うことは出来ないので、沖縄の福田先生に占ってもらいたい。

追い討ちをかけるように、 妙な夢をみた。

母の姉と妹である千紗子伯母とヤス子叔母と三人で汽車の旅をしていた。

存命のヤス子叔母は微笑んで見ているだけで、すでに亡くなられた千紗子伯母とぼくは、

楽しい会話を交わしていた。 それも、これからの人生の夢や希望についてだ。

夢の中でも、亡くなった人と話することに疑問を持ちながら。

夢から醒めて、ぼくはヤス子叔母にお元気ですかと電話をかけた。

電話の向こうで、伯母は母に良く似た声で、6月に検査入院すると告げた。

十数年前、母に告げられた病名と同じだった。喉がカラカラに渇いた。

ぼくは、どうにか、お大事に、と言えた。

強い風の吹く朝

 A杉くんが庭に積んであった舞台装置の残骸をごっそり運び出してくれたので、

明るい日差しが広がっている。

ついでに生茂った木々も剪定して欲しかったが、それは次回ということで。

A杉くんは結婚して子供が生まれて、更にたくましくなった。

それでいて繊細な心使いが出来る。珈琲豆が切れる頃になると、

さりげなく買ってきてくれる。一方的に世話になりながら、長い付き合いが続いている。

先日、こちらも世話になりっぱなしのYさんと、子供は親の躾が大事だという話をした。

ぼくはすべてに反面教師でしかないので、そんな話になるととても恥ずかしい。

見通しの良くなった庭を見ながら、沸かしたての珈琲を飲むのは格別な気分である。

強い風の吹く朝、ひとまず今日を生きることを考えた。 

帰りたくなる東京

 九州熊本から江戸へ来て47年が過ぎた。

中野坂上界隈に住んで30年、本町、弥生町、中央、と、

何故か離れがたく、この界隈を8回も引越している。

この四月もアパートの契約更新だったが、継続してもらった。

なかなかこの界隈を離れられない理由がある。

それは、喫茶店だ。

岩本珈琲店、カフェ・ド・アラビカ、喫茶ぽぽ、そして白蘭に、ドエル、

いずれも長く繁盛していて、美味い珈琲を淹れてくれる店だ。

長く続く秘訣は、それぞれの店に頑ななまでのこだわりがあるからだと思う。

ぼくは故郷を遠く離れても郷愁を感じたことはなかった。

ところが、東京を離れて数日もすると帰京したくなるのだ。

その原因は喫茶店の珈琲にあることは明白だ。

しばらく飲まないでいると、珈琲の味が恋しくなるのだ。

一昨年、長年付き合いのある友人がカフェを開いた。

そこもまた、しばらく行かないと恋しくなる店になりそうである。

ぼくの劇団もそんな風に続いてくれたら嬉しいと思う。

 

通り雨が春を追い越して往った

 昼下がりに突然の通り雨、間一髪で濡れずに済んだ。

コンビニの便利なネット通信で送られて来た舞台公演のチラシ図案を取り出しに行って足止め。

A4カラーで一枚60円だが、世界中のコンビニで取り出せて便利この上ない。

ぼくのようなアナログが抜けない人間は、パソコンの画面を見ながらの打ち合わせが苦手なので、

紙に印刷されたデザインや文字を見ながらの方が心やすまる。

雨上がりの濡れた舗道を歩きながら、考えた。

何事も「ダメだね!」と否定から 入る人がいる。

企画を否定されて没になったアイディアが、ぼくにも数え切れないほどある。

反面、「よく判らないけどやってみようか」と賛同され、大失敗に終わった企画もたくさんある。

否定から入る人は 確かに失敗は少ないだろう。

縁がなかったのだと諦めているが、ぼくは出来るだけ肯定から入るように心がけている。

少女人形舞台も、いまでもずいぶん否定されている。

曰く「儲かるの?」

曰く「かわいい娘いるの?」

曰く「地味だね」

確かに「儲かっていないし、スターもいないし、飛び跳ねたりもしない」

だが、少女たちは懸命に努力を重ねている。踊りも歌唱も目に見えて上達している。

何よりも、お互いの信頼関係が頼もしくなってきた。

少女人形舞台から新たな女優が立ち上がった。

その名は紅椿梗子。 来月、一人芝居に挑戦する。 

18歳の旅発ちである。無謀でも、ぼくはその勇気に感動する。

期待して見守りたい。