15年前の秋

窓を開けたままソファーに寝ていたようだ。

明け方、同様の生活サイクルの友人からのメールコールで気づいた。

秋の空気が音もなく部屋に満ちている。

そろそろ父の一周忌だと毎朝のように思う。

15年前の秋からひとり暮らしが始まった。

父とも暮らしたかった。が、言えなかった。

息子とも暮らしたかった。が、言えなかった。

冬に向かう季節の何という清々しさ。墓の前で愚痴は言うまい。

こうして歌が生まれる。残酷だなと友人が言う。

森林や岩をろ過して美しい水が湧き出るように、

歌も禍福を乗り越えて生まれる。すべては冥途の土産だ。

締め切りが迫るといつも…

台本の締め切りが迫るといつも、とりとめもなく思考が分散する。

東京ディズニーリゾートのアルバイトは年齢制限(上限)がないと新聞記事にあった。

ミッキーマウスが最高齢者で85歳だそうだが、まさかないだろうが、

ヌイグルミの中も老人だったら素敵だな。

30年ぶりに入会したJASRACから9月の楽曲印税支払い計算書が送られてきた。

右から左に消えるささやかな額なのでいつも封も切らずにいるが、珍しく開けてみた。

郵送代が勿体ないと思う金額から更に、手数料、消費税、

所得税及び復興特別所得税が引かれている。(お上は容赦しないなあ)

項目に、立て替え金清算とか貸付金とかその利息とかある。

JASRACは金も貸してくれるのかと驚いた。

煙草を吸う人はアルツハイマーになりにくいらしい。

ぼくは吸わないが、愛煙家の友人たちに知らせてやろう。

この夏は、頂き物の”肉のたかさご”のハンバーグと、

長野から頂いた貴重なじゃがいもで過ごしたと言っても過言ではない。

どちらも最高の食材だった。

 ロボットの進化が速い。掃除ロボットや寿司握りロボットなど微笑ましいが、

愚かな人類は、どうしても戦争に使いたがる。嗚呼、万能の神がいるなら、

今すぐ地球から兵器を消滅させてくれ。ついでに原発も消してしまおう。

確かに”7年後”に希望を見出す若者の声を聴く。だが、ぼくには、

どうしても遥か古代のギリシャ、ローマが滅びた”パンとサーカス”が重なって見える。

放射能の被害を正確に知りたいが、その術がない。

何もしないで見ているだけなら悪くないのか?心にその声が響く。

小さなことも大きなことも、取り返しがつかなくなってから気づく。

いや、気づいている人の声はサーカスの歓声にかき消されてしまうのだ。

そろそろ原稿にもどらねば!

クリスマスの話

来年の話をすると鬼が笑うというが、

来年どころか、マスコミは7年後のオリンピックの話で盛り上がっている。

舞台の仕事も先へ先へと進んで、人気の劇場など2、3年先まで予約で埋まっている。

27年目となる今年のクリスマスファンタジーは、運良く中野芸能小劇場で出来ることになった。

毎年、その年に芝居に出ていただいた俳優さんや歌手の方をゲストにお招きしてきた。

今週はその台本書きに没頭したいと思っている。

とりあえず今年の話なので鬼も笑うまい。

これからどうなるのか?

 幕末の名もない青年たちの話を書きながら思った。

遥か天平の昔から現代に至るまで、

青年は未来を憂い、老人は若者の言動を嘆いてきた。

それは、日本に限らず世界中の人間が抱える業のようなものだった。

ぼくは老人と呼ばれる歳になったが、今の若者を嘆くことだけはしないと決めている。

だが、物語を書く上では、若者を嘆く老人がいたり、

何の行動も起こせないくせに将来を憂う若者がいたりして、

観客を苛立たせる登場人物がいないと面白くない。

 7年後、東京でオリンピックが開催されるらしい。

若者に目標が出来たのは喜ばしいことだ。

しかし、大人は浮かれてはいけない。何故なら、

あの第二次大戦のおり、日本は決定していたオリンピックを返上した経緯があるからだ。

そしてつい最近のモスクワでも、政治を優先して出場を辞退した。

若者よ、老人に任せてはいけない。未来は君たちのものだ。

行動するのだ。

ジョン万次郎の英会話

 幕末に英語を学習する若者たちの物語を書き始めて15年になる。

荒唐無稽のシットコムとして舞台用に書き始めたが、

途中で映画の話がきて、少し史実を交えて書き直した。

完成したら、スポンサーの英会話塾がつぶれたとかで、

映画の話がなくなった。そこで、また舞台用に書き始めたら、

こんどは資料が多すぎて舞台ではとても無理な本になってしまった。

2、3年放っておいたが、どうしてもシットコムでやりたくなった。

「幕末英語塾」タイトルはカタイがコメディである。

先月、心強い協力者が現れて、英米対話捷径という、

1859年に書かれた日本初の英会話教本の復刻版をいただいた。

2週間も読み続けているが、実に面白い。

ホッタイモイジルナやアゲドウフは出てこないが、幕末の息吹きが湧き上がってくる。

一言一句が誠実に響いてくる。幕末のバイリンガル、ジョン万次郎の人柄までみえるようだ。

先達の苦労に甘えて生きていることを実感する。

現在もまた、誰かを犠牲にして世界は進んでいることを忘れてはならない。

ぼくが古典を大切に思うのは、過去こそが未来を照らす灯りだと思うからだ。

学ぶことはまだまだたくさんある。

冴え渡る秋空のごとく

年に何度か、脳が異常に冴え渡るときがある。

残念ながら、ほとんどが遊んでいるときで、重要な仕事の場であたったことがない。

それは、子供の頃からだったような気がする。

魚釣りだったり、アケビ取りだったり、遊んでいるときばかりだった。

試験のときだったらいいのに、と思ったこともある。

誰にでもあることだと思うが、仕事や研究で成功しているひとは、

有効に活用しているのだろう。

8月公演が終わってしばらくぼんやりしていたら、

急に脳が冴え渡ってきた。

本当に残念ながら、何もしないうちに、それは3日で終わった。

またいつもの、ぼんやりと霧のかかった脳に戻ってしまった。

そういえば、その間は頚椎の痛みもまったくなかった。

地球の磁気とか風向きとかが関係しているのだろうか、

などと考えると、”とんでも”な方に向かいそうだ。

そろそろライブの準備を

うたたねをしていたら、夜半に雨音で目覚めた。

懐かしいひとの夢を見ていた。

懐かしいひとはいつも夢で微笑んでいる。

この世で会うことの出来ない切なさに吐息も深い。

 この雨で夏はすっかり流されてしまうだろう。

宴の後片付けも遠い昔の学園祭の後片付けと気分は同じ…

くりかえしている。

独り暮らしは気楽と侘しさで

 優雅だと羨む人もいれば、侘しいだろうと同情する人もある。

独り暮らしも気づけば15年になる。

 確かに、侘しくもあり気楽でもある。

毎日が旅先に思える頃もあった。

料理に熱中したこともあった。

ブログを始めて、少し規則正しい生活にもなった、かな?

”読んでいますよ”と、声をかけていただくこともある。

生きる励みと云っては大袈裟だが、照れくさくも嬉しい。

気の利いたことを書こうと思っても無理なので、

思いつくままに書いている。

こうして月日は流れ、今年も9月を迎えた。

秋は少女人形舞台に活躍を任せて、ぼくは冬の準備をしよう。

そうして夜明けを待つのだ。

どこまで続くか独り暮らし。