嬉しい言葉

 四月公演「ビデオショップドリーミング」のキャストオーディションで、

多くの少女たちと出会った。

”チケットたくさん売ります!”と、笑顔を向けられると、

ぼくは素直に嬉しくなってしまう。

そんなに皮肉屋じゃないぼくは、ひたむきな表情や輝く瞳に弱い。

だから、この30年間、どれだけ稽古で苦しんだことか。

それでも、ぼくが採用するポイントは瞳の輝きや前向きな言葉だ。

演技や歌が上手いのは当たり前で、その先が重要なのだ。

ずばり、好感度である。

”チケットたくさん売ります”の言葉を、調子の良い奴だなどとは思わない。

ビンボー劇団を率いるぼくにとっては、その言葉は魔力かも知れない!?

そうだ、言葉には魅力もあれば魔力もある。

同じ言葉がある人を癒したり傷つけたりする。

言葉を言葉として、信じることだ。

今回も、素材としてはすばらしい面々が集まった。

新しいカンパニーがもうすぐスタートする。

毒舌の功罪

彼のイタリアで、毒舌のコメディアンが創設した政党が、

熱烈な支持を受けているらしい。

2年前の民主党の躍進を思い出して苦い感触を覚える。

芸術とは彼岸で、権力は踊っている。

毒舌は自分が攻撃されない限り心地よく脳を刺激する。

いつの世も、毒舌のコメディアンは人気を博する。

しかし、毒舌は痒いところを掻いてくれる孫の手のようなものだ。

言葉を選ばなければ魔児の手かも知れない。それは束の間の快楽。

他人の不幸は蜜の味、という言葉もある。

食後の一服、風呂上りのビール、つかの間の心地よさはいくつもある。

しかし、政治が劇場型になったとき、その舞台裏は大黒幕に隠れて観客には見えない。

現実は、三途の川で石を積んでは鬼に蹴散らされる哀れな子供であってはならないはずだ。

いま作り上げようとしている少女人形舞台は、毒舌のかけらもない世界にある。

幽かな世界に確かな信念が存在する。

それは、決して他人の所為にはしない少女たちの日々の鍛錬から生まれる。

3月2日、ライブハウス江古田マーキーで幻奏の宴VOL10が始まる。

是非のお越しをお待ちします。

華やかな時代と冬の時代

 低く垂れ込めた灰色の空、吹きすさぶ寒風、

心も凍りつくような冬こそ自分を育て成長させるときだと、

子供の頃、尊敬する教師に言われたことがある。

言葉では理解出来ても、体験して初めて身に沁みる。

華やかな時代には気づかないことが、

冷たい指に息を吹きかけるような寒さの中で鮮明に見える。

それにしても、長い冬だ。

待つのか、撃って出るのか、

いまさら焦る気持ちはないが、その時を間違えないよう、

感覚を研ぎ澄ませよう。

旅にも出られず今日もぼくは

今朝読んだ本は「郷愁としての昭和」佐藤良明・著と「女神」久世光彦・著の2冊。

前冊は1997年刊行、後冊は2003年刊行、の、

いずれも読み忘れていた本だった。

「郷愁としての昭和」はタイトルそのものだが、「女神(じょしん)」もまた、

昭和文壇に登場する文人たちに愛された女性を主人公に描いた、

昭和の香りそのものの小説である。

18歳で故郷を出て、数十回の引越しをして、

自宅であったり借家であったり、

いずれの住まいも居心地が良くないことはなかった。

なにの、いつも次の住まいを考えていた。
ずっと旅の宿にいる気分なのだといえば大げさだが、それに近い。

だから、許されるならHOTEL暮らしが一番好きだ。

旅に出られないのは演出の仕事が続いているからで、

それも自分が好きでやっている仕事だから不満はいえない。
「少女人形舞台」のショーを定期的に始めて今回で10回目になる。

ほぼ毎月1回演っているので、歌や朗読台本も相当な数になった。

毎回新しい試みを入れるので、脳は常に新鮮で面白がっている。
実際に北欧や南仏に旅する時間はないが、

書物の中では毎日のように出かけているので、

爆発するほどの不満はない。
それでも、白々と夜が明けてくると、

ああ旅に出たいなと思ってしまう。

紀伊半島や軽井沢の風の生まれる森を思うと、

涙が出るほど恋しくなる。

春一番と一緒に舞い込んだ一枚の写真

 春一番と一緒に九州から一枚の写真が届いた。

ブログにアップしようと思ったが許容量の問題なのか、

どうしても画像にならない。本当はぼくの知識不足なのだが、

これはもう運命と思って諦めるしかない。残念である。

そういうと益々見たくなるであろうし、ぼくも見せたくなる。

数時間悪戦苦闘してみたが、やっぱりダメだった。

4月公演のキャスティング中なので、たくさんの新人女優、

または女優志望の少女たちとお会いしている。

この写真も、女優志望の少女だが、何と平成14年生まれの小学5年生なのだ。

女優になるために一人で上京する覚悟だと云う。

遠い昔、バレリーナを目指してひとり広島から上京し、

夢叶って世界のプリマドンナとなった少女がいた。

かの有名な森下洋子嬢である。

彼女の場合は、広島においてすでに天才少女の誉れ高かったと聞く。

それにしても、たいした勇気である。

昔バレリーナ、今女優。

夢一杯に膨らんだ少女の心臓が大好物だという魔王、

その魔王に魂を売り渡した魔女イメルダと、

夢を諦めない少女たちが戦うミュージカルファンタジー、

それが、今回公演の「ビデオショップドリーミング~ニューヨークの魔女~」である。

2006年のアトリエ公演、そして2009年の銀座みゆき館劇場公演から新人女優が飛び立った。

確かに縁起のいい作品ではある。そろそろキャスティングも大詰めとなってきた。

配役を間違えると成功する芝居も台無しになる。

ここを乗り越えたら、舞台は半分成功だと云っても過言ではない。

だから慎重すぎるほど慎重になる。石橋を叩いても渡らないから前に進まないこともある。

しかし、時間は遠慮なく進む。制作さんはフライヤーも待機だから腹立たしいに違いない。

別に楽しんでいるわけではない。スターもいないビンボー劇団は失敗したら後がないのだ。

四谷から蔵前へ、そして両国で

 両国にはちゃんこ料理屋が2軒しかないと言われた。

あとは?と訊ねると”単なる鍋屋です”と、きっぱり。

薦められて、ちょいと路地にはいったその2軒の中の一軒”巴潟”の暖簾をくぐった。

両国に老舗の店を構えたご主人の言葉に偽りはなかった。

”特に塩ちゃんこだね”

我々ちゃんこ初心者には至福の時間だった。

だが、”一は〇〇、2番目が巴潟”といわれた1番旨い店〇〇は休みだったので、

次回の訪問を誓って解散した。

長い一日だったが、行き着いた先が両国で、みぞれ降る中、

両国で2番目に旨いと推奨された店でちゃんこ鍋を囲むことが出来て、

身も心も温まった。

それもこれも、超多忙となった先方に気を使って蔵前まで出向いたからの来倖に他ならない。

ひとり帰る電車の中で、つい居眠りをしてしまった。

冬はいまだ去らず。

空知らぬ雪を恋う

 みぞれが雪に変わった。

午後から外出の予定なので、この後の天気がどうなるか心配である。

今日にかぎって、いくつもの打ち合わせや会合を入れてしまった。

まあ、なるようになるだろう。

空知らぬ雪とは散る桜を言うのだと、物知りの友人に聞いた。

桜の花が舞い散ることを桜吹雪という。

確かに、雪は空から舞い降りるが、桜が舞い散ることを天空は知らない。

「世の中は数なきものか春花の散りの乱い(マガイ)に死ぬべき思えば」

と、大伴家持も歌っているように、日本では昔から春は狂いの季節とされてきた。

古代の歌人も現代の作家も「散りの乱い」を歌い、そして大衆はそれを愛してきた。

2月の雪を眺めながら花嵐を待ち望む心があることに、何故か安心する。

出来るなら桜散る春に死にたいと歌った西行と、

春に逝った母を重ねて思うからかも知れない。

「桜影法師」のCDがそろそろ出来上がってくるころだ。

洗いざらしの心で…

 足と腰の不自由な生活がひと月続いた。

せかせかと歩いていた近所の町並みさえ、

ゆっくり歩けば景色が変わって見える。

昨日は杖をつかずに地下鉄に乗った。

四月公演のキャスティングも大詰めなので、

痛がってもいられない。

予定では2月中旬にキャストが決定する。

冬の荒れる海を眺めて見たい、と、

明け方目覚めて思った。

目を閉じると、心は北陸の海岸に飛んだ。

若い歌手たちを連れて正月から北陸巡業に出たのは、

あれはいつだったのか忘れるくらい昔のことだ。

出世した者もいれば行方知れずとなった者もいる。

今も慕ってくれる者もいれば疎遠になった者もいる。

それが人の世だと言ってしまえば味気ないが、

流れる時間には逆らえない。だから、

せめて旅に出て、独りしみじみ心の洗濯をしたいと思う。

きれいさっぱり、洗いざらしは気持ちがいいものだ。

ラフランスの話

 村上春樹の短編集「中国行きのスロウ・ボート」の表紙絵は、

皿にのった二個のラフランスが描かれている。装丁は安西水丸とある。

ぼくの知り合いで村上春樹を語る女性はいない。あるとき、

男性の友人にそのことを話したら、”きみが貧乏劇作家だし、同年代だから、

気を使っているんだよ。女性は村上春樹が大好きなんだ”と同情気味に言われた。

 そういえば、「1973年のピンボール」が発表されたとき、

面白いから読んでみて、と推薦してくれたのは、民放ラジオのディレクターN嬢だった。

あの頃のぼくは、漠然と小説でも書こうかと考えていた。30代になったばかりの頃だった。

あれから30年が経ち、村上春樹はノーベル賞受賞が世界中で噂される売れっ子作家になった。

ぼくは、と云えば、好きな仕事をしていると居直っているが、

ご存知のように売れないビンボー劇作家の称号をいただいて、今日も木漏れ日を浴びている。

ぼくが洋ナシをラフランスと呼ぶ女性と知り合ったのは、

ちょうど「中国行きのスロウ・ボート」を手にした頃だった。

それまでぼくは洋ナシをラフランスと呼ぶことを知らなかったので、

”洋ナシは洋ナシだろう?!”と、反論した。

”あら、そんなことを言ってたら、あなた用無しになるわよ”

と、笑った彼女が素敵だったので、それから20年も付き合った。

彼女と別れてから、店先のラフランスを見るたびに、

村上春樹の本の表紙と”用無し”を思い浮かべるて、首を振る。

ラフランスはぬめるので、上手に皮を剥くのがむずかしい。

もう10年も食べていない。これも小さなトラウマなのだろうか。