夢に出てくる懐かしい町で

まっすぐに延びた一本の路地をはさんで、

下宿屋があり、下駄屋があり、クリーニング屋があり、

床屋があり、銭湯があり、ラーメン屋があり、少し上品な小料理屋があり、

古本屋があり、そして、裁縫店があった。

裁縫店の一階はしゃれた洋装店で、化粧の濃いマダムがいた。

姉はその二階でワンピースやドレスを縫っていた。

本人はデザイナーの卵だと言っていたが、

近所の人からはお針子さんと呼ばれていた。

これは、ぼくの夢の中の話である。

多いときは一ヶ月に数回みるが、年に数回、

2,3年みないこともある。

み始めたのは東京に来て1,2年後だったから、

もう40年になる。

そこの住人は誰も歳を取らない。なのに、ぼくだけが歳をとっていて、

みるたびに焦る。

艶めいた夢もあれば、下宿屋で受験勉強に苦しむ夢もある。

まるで誂えた映画のセットみたいに、裏は見えない。

その路地から何という駅に続いているのか、先に進むと目が醒めてしまう。

下宿屋から反対方向はなだらかな坂になっていて、川があるようにも思えるが、

そちらも、先に進むと目が覚める。

約百メートルの路地が夢の舞台である。

裁縫店の姉も、現実の姉とは似ても似つかない女性だ。

しかし、ぼくだけが歳を取るのが解せない。

ふくよかな美しい女性たちの微笑みに囲まれているのはいいが、

夢から醒めると侘しさがつのる。

決して現実では出会うことがないであろう人々と町並み。

行って見たいと思うときもあるが、夢は夢にとどめておいた方が良さそうな気もする。

本当にぼくが癒されてしまった。

江古田スケッチ35周年記念ライブは、

お越しいただいたお客様を癒すような素敵なライブにするぞ!と、

意気込んではじめたが、まあ、客席の穏やかな優しい微笑みに、

ぼくの方が完全に癒されてしまった。

考えたMCなどすっかり忘れて(これは毎度のことだが)緩んだ頬を引き締めるのに精一杯。

長く生きていれば、誰もが心に重い荷物のひとつやふたつ背負い込んでいるものだ。

少しでも生きる厳しさが解きほぐされたら、歌っていてこんな嬉しいことはない。

アンコールの拍手の温かさも、今までになく心に沁み込んだ。

ポケットの夢、にしろ、28才にしろ、歌った内容のままの生き方で65年も生きている。

だから、ぼくにとっては35年前の懐かしい歌ではなく、今も進行形の歌だ。

共感いただけることが何より嬉しい。歌い続ける勇気がでる。

ご来場の皆様、本当にありがとうございました。

尽力してくれたスタッフの皆さんも、バンドのメンバーも本当にありがとう。

今日から、また新しい目的に向かって頑張ります!

35周年の記念ライブは、自分で買った下着を穿く!

 独り暮らしは気楽に見えて、そうでもない。

炊事洗濯掃除に雑用、当たり前のことだが、全部独りでやる。

電気ガス水道、税務署保健所、新聞勧誘政治運動家、宗教家にNHKの受信料徴収人、

あらゆる職種の方々の来訪が朝から続く日もある。

そりゃぁ余裕があれば家政婦まかせでホテル暮らしのようにも出来るだろうが、

何せビンボー劇作家であるから、そうもいかない。

今日も今日とて、朝からコインランドリーで洗濯乾燥を済ませて、

風呂を洗って、朝食を作って食べていたら昼になってしまった。

そこで思い立ったのが、26日の江古田スケッチ35周年記念ライブに穿く下着を買いにいくことだった。

何故かというと、自慢のように聞こえるだろうが、ぼくは下着を自分で買ったことがないのだ。

劇団員や、姉妹や親戚の叔母やら、独り暮らしのぼくに同情する人たちからの、

頂き物で事足りてきたのである。これではいけない。ぬるま湯に甘えるのはやめよう。

記念のライブに穿く下着を自分で買いにいこう!と、決意した(大袈裟だな)

ぼくは常々、下着はバーバリィしか穿かないと宣言しているので、

当然、頂き物もバーバリィである。けなげな劇団員がバイトをして贈ってくれたときは、

申し訳ないと拝んで穿いた。

ハッ!何処で売っているのだ?

デパートに行けば判るだろう!

予報が外れてホッとするのは…

 夜半をとうに過ぎて帰宅した。

天気予報では雪だとのことだったが、静かに雨が降っていた。

今週はけっこう動くので心配だったのだが、予報が外れてホッとした。

と、同時に、何だか祭りが中止になったような一抹の淋しさを感じた。

不謹慎だとは思うが、天気予報にはそう思わせるところがある。

何故だろうと考えてみた。

火事と喧嘩は江戸の華、などと、人間は昔から他人の不幸に胸躍らせる不謹慎なところがある。

新聞やテレビの報道番組など、見ると腹が立つから見なくなった

沈痛な表情を作りながら、妙に声が華やいで聞こえたりするからだ。

そういえば、阪神淡路大震災の時、神戸にヘリで降り立った報道関係者が、

悲惨な現場でテレビカメラに向かって”まるで温泉場のようです”と、言ったことがあった。

あちこちから立ち上る火事の煙に、彼は温泉場を連想したのだろう。

それが不謹慎だと騒がれたが、テレビを見ていた人間には対岸の火事だったはずだ。

何かを伝えようとした彼は、むしろ正直者だったのかも知れない。

スポーツ中継も芸人や評論家がうるさいので、テレビの音声を消してから観たことがある。

しかし、観客の歓声まで消えると淋しくて味気ないものだった。

ようするにわがままだということだ。

そんな人間が60億も70億もいるのだから、地球の何処かでいつも火花が散っている。

嘘だと思うが、石原慎太郎氏がクラウゼヴィッツの信奉者だと聞いたことがある。

あれは恐ろしいが、政治家など、誘惑に嵌りやすい論文だ。

何しろ、敵対するものを根絶やしにしなければ平和を手にすることは出来ないと言い切っているのだから。

わずらわしい政敵に囲まれた指導者が夢想したら、最高のバイブルになる。

おや、途中で思考がずれた。ぼくは天気予報について考えていたのだが、

相次ぐ訃報に胸が痛む。対岸の火事なのか…4時47分、地震だ。不気味に揺れている。

ぼくは自分のわがままを反省し、雪が降らずに雨になっただけで感謝すべきであろう。

精神の均衡を保つには、

 まともな人だと言われることは稀なので、深刻な問題ではないが…

本当に精神の均衡が保てなくなりそうな時がある。

甘えるな、と言われたらそれまでだが、子供がダダをこねるような、

大人気ないわがままが身体を占領するときだ。

昨日、スタジオで5時間、バンドリハーサルをやった。

ほとんど歌い続けた。脳が焼けるくらい歌った。

終わったら、ぼくの中からすっかり、子供じみたわがままが消えていた。

すごく穏やかに周りが見回せた。

パンクでもロックでもないフォークソングだが、歌うことは身体にいい。

特に、わがままな奴には歌わせることだ。脳が焼けるまで。

そう、たまにはオーバーヒートさせてクタクタにするのもいい。

ペインテッドピンク!!

2013年の不条理劇「ムチムチニョロニョロ」を観劇した。
面白くてゲラゲラ笑いたかったが、まわりがおとなしく観ていたので我慢した。我慢は身体に良くないので、時々笑った。マクラのつくばエクスプレスのくだりで、客席が我慢出来なくなってドッと沸くまで続けて欲しかった。
俳優人は精一杯の技量で頑張っていたので、客席も暖かかった。60年代なら、少しひねったであろう脚本を、現代の演劇青年は、こうまでストレートに描くのかと感心しながら観た。ちゃぶ台芝居に見立てたセットがすばらしかったので、タイトルも「兄妹」とか「桜貝の歌」とか、菊池寛や吉屋信子的だと、知らない客も呼び込めて驚かせられたのでは、と、余計な世話まで考えてしまった。主演のアオキカズヤくんが繊細で目線も素敵だった。オカマの金貸し役の麻草郁くんがあんなに肉体美だったとは感動した。ドレッサーが開いたときの芝居の美しさは、南北の四谷怪談を歌舞伎で見ているようだった。やはり、俳優は肉体表現なのだと嘆息した。脚本・演出の浅間伸一郎くんは、面識はないが、ひとつベールを剥いだら、恐ろしい不条理劇を書くであろう才能を垣間見せた。土、日は二回公演らしい。卓袱台芝居にあらず!おそろしい前衛劇である。ペインテッドピンク!!!

女が作る男の芝居!

 この5,6年、「少女人形舞台」を始め、女性中心の芝居ばかり作ってきた。

したがって、劇団の男優たちは、裏方にまわるか外部出演するしかなかった。

今年は、一発、劇団の女性たちに裏に回ってもらって、男たちの舞台を作ってもらおう!

作・演出は、朝倉薫L(劇団の女優たち)

出演は、片山竜太郎、後藤享、佐藤龍星、マグ、榊原和明、

そして、竹内緑郎!面白い芝居になるぞ!

しかし、男たちは客を呼べないので、劇場が限られる。

夏に演りたいと思い立って中野小劇場に電話したら、今日から12月の受付だと言われた。

公共の施設は、安価だが人気が高い。こんなに劇場があるのに、

なかなか空きがない!手分けしてさがそう。

願望と約束

旅行かばんライブのリハーサルと少女人形舞台ライブのリハーサルが交互にあって、

その合間に舞台観劇に行こうと思っている。きっと行く。

今年は時間の調整もなぜか楽しい。

思わぬアクシデントが昨年から続きすぎているので、

笑いながら泣いている。いや、泣きながら笑っているのかな?

夜の10時に寝て朝の4時に起きる生活に変えてから、

時間の使い方が上手になったような気がする。

身体が自由に動かない分、脳が活発に活動しているのだろう。

身体が動くようになったら、あれもしよう、これもしよう、と、

脳が計画を立てる。無理だと思う計画まで立てる。

しかし、ひとの約束は当てにならないものだ。

叶わないからするのが約束、というのは夢路の詩だったかな。

そういうぼくにしたって、叶わない約束をいくつ交わしただろう。

忘れはしないが、叶う望みが遠いものもある。

願望と約束は違う。気をつけよう。

今年の歌会初めは”立”

”実はぼく 家でかえるを飼っている 夕立来ても鳴かないかえる”

 小学生太田一毅くんの歌が一番に、厳かに詠まれた。

室町から600年も続く宮中歌会初め、

今年は面白いと思うか、破れかぶれと思うか、

意見の分かれるところだろうが、

そのあとは無難な歌が続いている。

冬空の下で思う

「 日下部四郎太の世界」

「ぼくの心臓を座標の原点にとり、Zの軸を垂直の上向きに、Xを右の乳の方向に、

Yをそれに直角の方向にとる!この座標軸にアインシュタインのトランスフォーメーション(変換)

を施す!」

 これが、地球物理学者日下部四郎太の臨終のことばだったらしい。

これを、今際のうわ言ととるか、冷静な臨終の観察発言ととるかは、

それぞれの判断ではあるが…。

日本のインディ・ジョーンズ日下部四郎太は、明治大正に生きた、

恐ろしいほど頭脳明晰な科学者である。

その一生は、迷信を打ち破る冒険の旅だったが、

志半ばにして夭折してしまったようだ。

迷信占い、は、現代においても大人気で、

日下部四郎太が生きていればおおいに嘆くであろう。

人間だって、そう簡単に進化できるはずもない。

しかし、相変わらず占い大人気の現代のぼくらも、

迷信占いが王道だった時代に孤軍奮闘した日下部四郎太を、

心の隅にとどめることも必用ではないだろうか。

来日したアインシュタインに恐るべしと回顧させた日下部四郎太の業績は、

今も、映画や小説やアニメの怪奇現象謎解きなどによく使われている。

例えば、山形の浮島沼の伝説、鹿島のなまずを封じた要石の伝説など、

面白い話がたくさんある。

ただ、伝説を暴かれた現地の人々は、日下部が急死したとき、

あばいた祟りだと噂したらしい。

田中聡「怪物科学者の時代」晶文社刊・参考