扉が開けば

  作曲家の書いたメロディに詞をつける”曲先”の場合はメロディありきなので、制約はあるが作業は早い。もっと早いのは詞先、つまり勝手に詞を書いて作曲家がそれに曲をつける場合だ。1番と2番の字数が多少違っていても、作曲家がうまくメロディをのせてくれる。

 もっと早いのは、出来不出来を問われないなら自分で作詞作曲する作業だ。平安、鎌倉の今様から続く歌謡曲の系譜は途絶えてはいない。この歳になって誇りをもてるようになったが、20代の半ば、初めてぼくの作詞作曲がレコードになったとき(歌・牧葉ユミ「酔っ払ってみたい」)、喜んで報告した(高校時代から作家を目指して切磋琢磨していた友人)Mくんに「何だ、きみは戯れ歌を書くようになったのか」と蔑まれ、意気消沈した記憶は消せない。ずっと引き摺って生きてきて、今思えばバカバカしくも切ない。

 人によっては創作は”降りてくる”という表現をするが、ぼくの場合、”扉が開く”という感覚だ。脳に書斎があるとすると、すっと開いて、物語が始まる。やっかいなのは、この扉が自由自在に開いてくれないことだ。一日待っても開かないこともある。3日間くらい開き放しの時もある。

今?稽古は始まっているというのに、朗読劇の台本があと4本書けていない。2日ばかり扉が開いてくれないのだ。ぼくはギターを弾いたり、無理やり友人を誘って食事に出かけたり、作らなくてもいい歌を書いたりしている。戯れ歌という表現も今思えば、洒落た言葉だ。昔の今様は、それこそ戯れ歌だったのだから。猿楽、田楽、芸能の始まりは、神であれ人であれ楽しませようとして作り出されたものだ。

 そういえば、古事記にもある”私は、はこの後俳優(わざおぎ)の民となって奉仕しましょう” という海幸山幸のくだりは、いつ読んでも想像力をかきたてる。それに、岩波の今昔物語が5巻まで書棚にあって、その巻の三十一の三十七話まで、ゾクゾクするような話が満載だ。創作の扉が開かないと、ぼくは、つい読むほうに遊んでしまう。