そろそろビンボー脱出の時かな!

 居心地のよい場所に、助けてくれる人の好意に甘えて、ビンボーだと居直って、何年が過ぎたのだろう。もうそろそろ、ビンボー劇作家の称号?を返上して、北風の中へ旅立つときが来たようだ。何事も潮時がある。馴れ合いの付き合いは、それはそれで楽しかった。しかし、友よ、ぼくは新しい可能性を求めて、ひとりで旅に出る。君の好意に報いるためにも、何とか頑張ってみるよ。ビンボー劇作家よ、さらば!

嬉しい手紙

 ペンネームを幾つも使っていると、宅急便屋が怪しむ。多いときには、日に何度も同じ配達人が違う名前を呼ぶ。受け取りの印鑑は、決まって玄関に置いてあるシャチハタの認印。勿論、宛名と名前が違う。郵便なら玄関の郵便受けに届けるだけだが、受け取りを確認しなければならない配達人は厄介なことだろう。

 よく晴れた冬の土曜日、朝から嬉しい便りが届いた。ぼくよりずっと忙しいであろうお方からのお手紙は、心を暖かくさせてくれた。ぼくなど、忙しさを理由に電話で済ませてしまうことが多々ある。筆を取るということは、それだけではない。封筒に切手を張り、郵便ポスト、もしくは郵便局に出しに行かなくてはならないのだ。今は近くの郵便局の窓口のお姉さんがにこやかに対応してくれるから幸いだが、対応の悪い窓口に当たって一日憂鬱だったこともある。たった一通の手紙でも、書いて出すという作業は心身ともに疲労するのである。

 なので、ぼくはお手紙をいただくととても嬉しくなる。今日は午後から、旅行かばんのライブリハーサル、そして夜は少女人形舞台のリハーサルと続く。そのあと路上で歌う元気はないかも知れないな。

御茶ノ水穂高にて

 朝から快晴だった。風もいくぶんやわらかく感じた。

 御茶ノ水の下倉楽器にギターのメンテナンスに出掛けた。

 終って穂高でコーヒーを飲んだ。駅前なのに、ここだけは静かな時間が流れている。ひとりで穂高に入ると、泣きたくなるので困る。確かに、時の流れでは癒しきれない悲しみだってある。

 今夜高円寺で路上をやるつもりだったが、夕方から雨が降ってきた。残念だが中止にした。夜は「スタント」の改稿に時間を使おう。

人形の道化師

 札幌、京都へのツアーに出る前、女優の田中真弓嬢からハーブティの差し入れをいただいた。心地好く響く声VOCALと言う名のブレンドで、パッケージの銘柄を読むと、リコリス、レモンバーム、マーシュマロウ、ジャーマンカモミール、ペパーミント、タイム、ヒソップ、マローブルー、カレンデュラ、昔住んでいたマンションのベランダで育てた懐かしい名前が並んでいた。

 食器棚の奥にしまい込んだままのティポットを取り出すのは何年ぶりだろう。鍋に湯を沸かしてティポットと濾し網を放り込んだ。ハーブティを淹れて飲むなど、何処にそんな心のゆとりが出来たのだろう。少女人形舞台の原稿を書きながら、ぼくは見失っていた大切なものを捜し出したようだ。忘れかけたセレナーデも、月の魔力も、あのベランダで居眠りしながら生まれた。

 振り返ることは出来ても、後戻りすることは出来ない人生。でも、居眠りしながら詩がが生まれた環境と精神は、取り戻すことが出来るかも知れない。いや、もっと素敵な環境と精神を作り上げることが出来るはずだ。ハーブティの香りが部屋を満たせば、心は自由に幻想の世界へ旅に出る。こっちへおいでよ、と、久しぶりに現れた人形の道化師が笑って手招きをする。相変わらず下手な踊りだな、と、ぼくは苦笑する。

 冬のロンドンにいるような低く垂れ込めた灰色の雲の下で、ぼくはゆっくりと、淹れたてのハーブティを口にはこぶ。

メリーココにおいで!

  2月25日のメリーココは、竹内緑郎のライブより、少女人形舞台のショーの方が熱いようだ。昨日も稽古を覘いたが、首を負傷しているまたか涼も頑張っていた。朗読用のポエムがまだ半分も出来上がっていないのが後ろめたい。昨日持参したポエムは、半分以上却下されてしまった。勿論、少女人形舞台を率いる西本早希嬢にである。しかし、反論できないくらい彼女の方が正しいので、おとなしく引っ込めた。いままで、LOVE ME DOLLや月光の不安で、小出しにしてきたが、今回は真正面からの第一弾である。甘えるわけにはいかない。と、云う訳で、今夜も風の音を聴きながら、夜が明けるまで幻奏曲を書きます。淹れたてのコーヒーがすぐ冷める。冷え込みが厳しいのだろう。DOLLたちは風邪をひかないのだろうか、ふと思って苦笑した。、人形の血はストロベリージャム、おが屑と針金、水晶と剥製、トランシルバニアは氷の中、

 今朝方、音もなく降り続く絹糸のような雨が庭の枯れ枝に水晶の玉を創るのを、じっと見ていた。玉は真珠の大きさになると、耐え切れず枝を離れて地上に落下した。いくつかの真珠の玉が不規則に落下するのが、逆に宇宙の法則のようで面白かった。

 札幌、京都と舞台のツアー中、夜、眠らねばならなかった。何度も悪夢にうなされた。夜眠るとろくな事はない。やっぱり、夜は、眠る時間ではなく物語の生まれる時間なのだ。メリーココは少女人形にお似合いだ。ヴァイオリンが早く来るといいね。

胆の住まい、か…

 絹糸のような雨が音も立てずに降っている。どんよりと曇った空は、ますますぼくを陰鬱に誘う。

 4月9日に逝った母の13回忌だと、姉に言われて思い出す親不孝者である。子供の頃から、男なら胆の住まいを広くしなさい、と母に言われ続けてきた。繊細=神経質、情熱的=短気 冒険心=向こう見ず、母は紙に書いてぼくを諭した。判っているよ、と反論した。判っていて反省しないのは罪が深い、と母は悲しそうに言った。

 心残りは山ほどある。けれど、それが人生だ。徹夜で書いたライブの案内状(メリーココの夜も10回目になる)を出しに郵便局へ行った。帰宅すると、留守中に訪ねて来たらしい友人からの差し入れが、玄関扉のノブに提げてあった。八竹の茶巾寿司だった。ありがたく頂いた。昨年、ぼくの舞台に出演してくれた女優真由子嬢のお母様から八竹を差し入れ頂いたとき、ぼくにとっての差し入れ第一位は八竹の茶巾寿司だと大喜びしたことがあった。しかも、脚本にたびたび登場させる。決してそうではないが、まるで催促しているかのようだ。

 13回忌か…ぼくも残り少ないであろう人生、何処まで広くなれるか、胆の住まいの広い男になるよう頑張ってみよう。せめてもの母への供養だと思って…。

少女人形舞台

 「LOVE ME DOLL」「月光の不安」と、2作を発表した朝倉薫の少女人形舞台。今月25日のメリーココで「幻奏の宴」と題してパフォーマンスショーの幕を開ける。12月のクリスマスライブで久々に復活した真一涼も再び参加する。新しいDOLLに生田善子嬢、福井都代嬢が参加、残念ながら冨手麻妙嬢はお休みだが、広森かのこ、伏見梨沙DOLLは元気に登場する。踊るDOLLは華やかに揃ったが、演奏DOLLがまだ何処かで眠っている。パリの街角で歌って踊って演奏するのは、いつの日になるのだろう。待ち焦がれて夢にまで見る。

砂時計と釜飯

p2012_0209_021254.JPG 大量の米を炊くとき以外、ぼくは電気炊飯器を使わず土鍋で炊いている。土鍋といっても、横川駅おぎのやの釜飯の器である。軽井沢方面でのゴルフの帰りや旅行の帰路、必ずといっていいほど、おぎのやの釜飯を買って帰る。キッチンの戸棚には幾つもの器が重なっている。30分ほど水に浸し、火にかける。中火で9分炊くと沸騰し出す。それから弱火にして6分炊くと、湯気に少し焦げる匂いが混じってくる。そこで火を止めて15分ほど蒸らすと、贅沢なご飯の出来上がりというわけだ。

 炊飯に活躍するのが砂時計だが、ぼくは3分計しか持っていないので結構慌しい。だいたい炊きながら本を読んでいるので、砂が落ちきっても気付かないときがある。2,3分のロスタイムを計算して火加減を調節しなくてはならない。この砂時計というのが曲者で、なかなか砂が落ちないと思っていると、気付いたときには落ちきっていたりするし、3分過ぎても落ちないような気がするときがある。腕時計と睨めっこして測ったら正確だったので、ぼくの気の所為なのだろう。

 想像以上に美味いご飯の出来上がりで、炊きたての熱々に卵を溶いた卵かけご飯は絶品である。また、サンマのカンヅメでとじて蒸した釜飯や、栗やきのこの炊き込みご飯など、なかなかのバリエーションも楽しめる。男の独り暮し料理は、こうして生まれる。

ギターの音色

 50年もギターを弾いていて、少しも上手くならない。少しもというのは言い過ぎで、少ししか上手くなっていない。と、弾きながら思う。原因は判っている。歌の伴奏が出来ればよいと思っているからだ。上手くなりたいという向上心がないのに、上手くなるはずがない。

 ローザンヌ国際バレェコンクールで日本人が28年ぶりに金賞を受賞したというニュースを聞いた。その17歳の女子高生は3歳から毎日、夕方から夜更けまでバレェの稽古をしているらしい。友人が、稽古をそれだけ続けられることが天才だと感心していた。少女は14年間も稽古を続けて、みごとローザンヌで金賞に輝いた。そして更なる稽古を続けるという。才能とは刹那的な輝きではなく、弛まぬ努力の果てに開花するものだろう。

 10日から始まる朗読会のリハーサルの演出で一日が終った。努力する姿は微笑ましい。3都市公演のツアーから帰って、体調は最悪だが、気力を振り絞っている。明日も終日リハーサル、というか、もう本番まで日にちがない。今回の演出は、奇をてらわず、オーソドックスなスタイルで、読み手も聴き手も集中できるようにしたい。音楽やSEも極力控えめに、息遣いや言葉の微かなニュアンスを大切に伝えられるようにしたい。タイトルは「昭和の恋人たち」遠くなってしまった時代の恋物語を、平成生まれの少女たちが朗読する。楽しみである。

楽しみと憂鬱

 まじめに、仕事について。

楽しみにしていた仕事も一転憂鬱になることもあり、またその逆もある。心の持ちようで楽しくもなり憂鬱にもなる。どんな時でも楽しいがいいに決まっている。ただ、仕事はボランティアではない。死活問題と直結している。だから楽しいだけで済んだらこんな幸せなことはない。今書いている映像作品の脚本は、長さが30分、登場人物が15人、その全員が主役として登場する。という、約束事が決められた仕事である。依頼を受けたときは簡単に書けると思った。シノプシスを書こうとパソコンに向かったら、突然憂鬱になった。何も書けないまま札幌公演に旅立った。

 すると、札幌のホテルで、それこそ30分でシノプシスを書き上げた。とある郊外のスーパーの開店前30分、店長が各担当に緊急招集をかける。青果担当、海産物担当、精肉担当、生活雑貨、警備担当までが駆けつける。大トラブルが発生したのだ。店長は栄転が決まった矢先。何としてもトラブルを解決して30分後に店を開店したい。ひとつのトラブルから連鎖的に各部署の問題が浮き上がる。そこへ、前店長だった本部の部長がふらりとやってくる。自分をスーパー店長と自称していた部長の出現でトラブルは更にこじれる。15分、登場人物15人は全員登場させられる。ここで、またまた問題発覚。朝刊に織り込まれたチラシの特売価格が一桁安く印刷されていたのだ。さまざまな解決案が飛び出すが、それはひとつもお客側に立った解決ではない!と、店長が言い切る。25分、残された5分でトラブルは解決できるのか?! そして、残り2分、奇跡的に、且つ常識的に、決してSF的ではなく、問題が解決する。開店時間が来た。スーパーの15人は、並んで店頭に立ち、「いらっしゃいませ!」と、にこやかに、爽やかに客を迎える。タイトルは「いらっしゃいませ!」

 これから30分の映像台本に書き上げる。この時間はあまり楽しくはない。しかし、受け取って喜んでもらえる顔を思うと、憂鬱な気持ちは何処かへ消え去る。そうなのだ。仕事相手の喜ぶ顔を見るときが一番幸せなのだ。だから明日も頑張ろう!