メリーココの夜10・22

~舞台『マケイヌバー』前夜祭~

竹内緑郎/月の203号室 ジョイント・ライブ
12月に行われる朝倉薫演劇団20周年記念公演『マケイヌバー』の主役・神戸城児を舞台初挑戦となる「月の203号室」の西畑春之介が演じることになりました。

そして、舞台本番を前に、朝倉演劇団主宰・朝倉薫のもうひとつの顔である竹内緑郎と月の203号室がライブで共演!
このライブをスタートラインとして、『マケイヌバー』が始動します!

【日時】
10月22日(土) 開場18時、開演18時30分

【出演】
竹内緑郎と旅行かばん(大西勇、西本早希)
月の203号室

【料金】
3,500円(ワンドリンク付、25名様限定、全席自由)
※当日の問い合わせ先は、サクラ・フルール フロント03-5467-3777

【ネット予約】
朝倉薫演劇団HP(http://aked.jp)の 右上にある「お問合せ」をクリックし、「お問い合わせ」のフォームより氏名・ライブ名(「10月22日マケイヌバー前夜祭」)枚数・連絡先、出演者経由でお申し込みの場合は、その出演者名を明記し送信ください。

【会場】
メリーココ 渋谷駅東口下車徒歩5分 ホテルサクラ・フルール青山1F
http://www.sakura-hotels.com
※宮益坂を青山方面に向かい、宮益坂上の歩道橋を渡り、正面。

幕末ジャンクション

 11月公演「幕末ジャンクション」の稽古が週明けから始まる。演出だけ参加の予定だったが、急遽脚本も仕上げての作・演出作品だ。今年は1月の朗読劇「昭和の恋人たち」に始まって、5月「スタント」7月「ライジングフラッグ」8月「江古田スケッチ」と、すでに4本を上演した。12月には「マケイヌバー」が待っている。劇団旗揚げ20周年は快調に進んでいる。

 9月に入って筋力トレーニングを始めたので肉体的にはかなり疲れているが、来年に向かってひた走るためには踏ん張りどころだろう。3日に1回は明け方2時間歩くことも始めた。この歳でそんなに鍛えてどうする、と、自問しながら腕立て伏せなどしている。11月公演は、7月に続いて精悍な男子諸君との舞台。体力知力、負けるわけにはいかない。京都のさびれた旅籠を舞台に坂本龍馬や沖田総司が交差するアクション&音楽時代劇である。製本された台本をいただくと、いよいよかと気も引き締まる。12月公演の配役も大詰めになってきた。そういえば、来月は花園神社の酉の市だ。この20年間、熊手も大きくなったり小さくなったり、忙しい年末ばかりだった。今年もまた、走り回る季節が近づいたようだ。師走とは、そういうものだと観念している。

LLOYD GRANDEで深夜のコーヒーを

 ぼくの住まいから歩いて1分45秒のところに、夜明け近くまで開いているバーがある。看板にコーヒー&バーとあったので、梅雨明けの頃、深夜に扉を開けてみた。コーヒー1杯の注文にもにこやかに対応してもらって、以来、居心地の良い書斎?になってしまった。

 ただ、店が開くのが早くて19時過ぎ、20時を過ぎるときもあり、定休日は月曜日と聞いたが、昨日も閉まっていた。いくつかの原稿をそこのテーブルで仕上げた。夕方から家で原稿の直しをやっていて仕上がったので、気分転換に読みかけの本を持って先ほど行ってみたら開いていた。

 コーヒーを飲みながら本を読んでいたら、一時間が瞬く間に過ぎた。楽しい時間は早く過ぎ去り、苦痛の時間は延々と長い。時間とは本当に不思議なものだ。楽しいばかりだと人生なんてあっという間かも知れない。もう63年が過ぎた。やりかけの仕事ばかりで、何一つ完成していないのに、困ったものだ。

 常連さんたちはカウンターに座るが、ぼくはカウンターから死角になっている隅のテーブル席が好きで、空いていればそこに座る。コーヒーも美味しいし、原稿も書けて本も読める。しかも、ぼくの生活時間帯に合わせたように営業している。多少の雨なら傘もささずに行ける距離にある。こんな素敵な店にそう巡りあえるものではない。

 

永遠の命

「永遠の命を与えられたら、どう思いますか?」

その問いに、「嬉しい!やりたいことがたくさんあるからね」と、答えたら、「たくさんの人に聞いたが、ほとんどが恐いという答えだった」と、喜ばれた。千年前の言語は何とか理解できるが、千年後の言語がどう変化しているか、まず知りたい。それと、この文明の行く末がどういう結末にたどり着くのか知りたい。あと、500年かけて出来上がるような気の長い仕事がしたい。ぼくの脚本が何処まで生き残れるか見届けたい。そりゃ、ぼくだけが生き残るのはつらいが、人類全員が永遠の命があるのなら戦争だってバカバカしくなるしね。と、話が弾んだ。実は、問いかけた彼も、ぼくと同様の考えだったからだ。

 現実は悲しいかな百年にも満たない人間の命。だから結論を急ぐあまり愚かな戦争を引き起こす。ある宮大工の話を聞いた。「棟梁、この梁、一寸空いてますが?」「おう、800年後にピッタリ合うような寸法にしておいた」

 永遠に続くと思おうよ。少なくとも、ぼくらの思いは続いている。近松もシェークスピアも舞台では生きているし、京都の和菓子も、土佐の和紙も、ぼくらの目の前に存在する。

 九州に生まれて、子供の頃に偶然知ったアイヌの美しい言葉をぼくは追い求めてきた。しかし、その美しい言葉もきっと変換を重ねてきたのだろう。コタン、ピリカ、メノコ、カムイ、濁音を持たない、震えるような美しい弾音の、日本語とはまったく異質の言語体系のアイヌ語が、永遠に語り継がれることをぼくは願う。

らんぷ

 新宿に行くと寄りたくなる喫茶店がある。そこは、青梅街道と小滝橋交差点角のビル地下にある”らんぷ”

 お店には悪いがいつも静かなので、少人数の打ち合わせには最適である。今日は僕のマネジメントをお願いしている制作会社のSさんとふたり、打ち合わせに利用した。カウンターとテーブル席が数席のこじんまりした風情のある店内は落ち着く。打ち合わせも快調に進んで大好きなケーキセットも食べ終わった頃、8名の団体客が来るので席を移動してくれないかと、ママに申し訳なさそうに頼まれた。

 めったにあることではないので、喜んでカウンターに移動した。何かの会合の帰りなのか、酒の入ったサラリーマン風の男たちが陽気に入ってきた。店はたちまち居酒屋の喧騒となった。僕らも声量をアップして会話した。しばらくすると、目の前に入れたてのコーヒーが差し出された。ぼくらはすっかりコーヒーを飲み終えていたので、注文していないけど?と、ママに言うと、どうもカウンターに座っていたひとりの客が注文したのを、お手伝いさんがぼくらを連れと間違えたらしい。常連のその客は「店が混むのはめったにないので、嬉しいな」と笑っていた。ママが「せっかく淹れたのだからご馳走します」と笑った。Sさんとぼくは、美味しさの倍増したコーヒーをご馳走になった。

 らんぷでは、たまたまだろうが、面白い人に出合ったり、可笑しなことに遭ったりする。そういえば、地下への階段を降りるとき、ぼくはいつも7段まで数えてやめる。それがいつ頃からの癖なのか覚えていない。ウエストを絞るトレーニングを始めて10日が過ぎた。3ヶ月後に目標を置いているので、まだまだ遠い。

 余談だが、らんぷには焼酎コーヒーというのがあり、値段は確かコーヒーと同じ500円だ。同行した酒飲みは必ず注文するが、旨いかどうか聞いたことはない。

舞台でやる意味

p2011_0925_030221.JPG まだ情報伝達の手段がなかった近世まで、舞台劇の作品は世間を騒がせた事件を素材とすることが主流だった。やがて小説が娯楽となり、映画、TVが誕生した。ぼくなりの意地で、「映画は100年、TVはたかだか50年、ぼくらの演劇は有史以前から続いているんだ」と、劇団員に熱く語ってきた。

 今や、映画、TV、舞台の原作は、小説を凌駕して漫画が話題となることが多い。ぼくも一度だけ、漫画を原作としたミュージカルの脚本・演出で全国を巡演したことがある。漫画では一コマで出来る変身シーンに30秒かかったら、原作者から10秒以内で変身して欲しいとの要望があった。衣装の早替えは瞬時に出来るが、カツラとメイクが至難だった。必死に稽古を重ねて何とか12秒まで縮めたが、俳優は大変だった。そのときは、お客様が喜んでくださるならと、ただ必死だった。このマンガを舞台でやる意味が何処にあるのだなどと考えもしなかった。

 来春、脚本家として原作ありの作品に参加する。演出はTVで実績のある才能溢れる方で、実に真摯な仕事をしておられる。昨夜、電話で作品の話をした。「TVの僕が舞台でやる意味って、何でしょうね?」ふっと問われて返事に窮した。考えたこともなかった。ただただ舞台が好きで、舞台しかやれなくて、それで生きて来た。ラジオドラマの脚本だって5年前に書いたのが最後だ。脚本なんて、発注が来なければ仕事はない。TV界でドラマを作り続けて目の回るような忙しさの彼が、深夜に真面目に悩んでいる。知り合って10数年、一緒に仕事をしたのは一度だけだったが、世話になっている友人のひとりだ。ぼくも真剣に考えた。

 ウグイスが鳴いたり、犬が月に向かって吼えたり、何かを伝えたい衝動が、ぼくにとっては歌であり演劇だ。それは、頼まれてもいないのに冬山に登って遭難する登山家も一緒だろう。100メートルを10秒で走るためだけに生きているランナーもそうだろう。はじめは誰も望んではいない。しかし、未踏の登山に成功したり、9秒台で走ったりしたら、世間の注目を集める。そして次は更なる快挙を望まれる。

 と、したら、注目を集めるまでやらなければ意味がないのではないか?ならば、やりたくない作品までやらなくてはならないのか?そうじゃない、やりたくないならやらなくてもいい。「断りますか?」と、喉まで出掛かった言葉を飲み込んだ。ぼくは彼に断って欲しくなかった。一緒に仕事をやりたかった。それには、彼が演出したいという脚本を仕上げればよいのだ。それにしても、勝手気ままに自分の作品をやってきたぼくには、原作ものは本当に難しい。弱音ではない。

 そろそろ、蒸かしていたポテトが蒸しあがる時間だ。十字に入れた包丁の切れ目が、花が咲いたように開いて黄金色のポテトが湯気を立てている。嗚呼、蒸かしポテトよ、君は何処まで品よく美しいのだ。

今日から秋という

 今日は秋分の日。昔は彼岸の入りと云った。暑さ寒さも彼岸までという言葉もある。月曜日が締め切りの原稿があるので、3連休と喜べないのが残念ではある。

 先日、新宿の果物屋で紫に熟れたアケビを目にしてつい買ってしまった。子供の頃よくしたように、種を口に含んで庭に勢いよく吐き出した。来年の春芽が出たらいいな、などと思ったが、そんなことは万が一にもあるまい。

 アケビの皮は漢方薬にもあるので、短冊に切ってフライパンで味噌和えにしてみた。片栗粉でとろみをだしてみたが、食してみるとゴウヤより苦かった。僅かな量だったので、無理して完食した。何だか身体に効いているような気になった。思い過ごしだと思うが…。

 いただいた葡萄をおすそ分けしているが、それでもかなりの量を食べた。心なしか、汗に葡萄の匂いがするようだ。これも気のせいだとは思うが…。そろそろ田舎の友人から柿が送られてくる季節になった。食べ物の話ばかりで恐縮だが、秋は本当に果物の季節だと思う。食べ過ぎに注意である。

残酷な青空

 誰にどのような罪があるというのだろう。台風一過、澄んだ空気を吸いながら晴れ渡った青空を仰いで思う。

 ”アフリカの原野で、幼い頃ヒヒに襲われて逃げ延びたヒョウが成長してヒヒを襲った。そのヒヒには幼い子供がいて樹から落ちハイエナに狙われた。親を食い殺したヒョウはヒヒの子供をハイエナから守りいとおしそうに育てた”というドキュメントフィルムで賞をとった作品を感動的に話すと、Tくんはこともなげに「勘違いしてはいけません。生物学的に、哺乳類の子供はすべて種を越えて愛される姿をしていて、それは生存本能がなせる術なのです」と言い切った。追い討ちをかけるように「ドキュメントのカメラアングルは、どうしてあんなに劇的でSEも臨場感あふれるように出来ているのでしょうね。不思議でなりません。たくさん撮って繋ぐんですかね?」

 ぼくに聞かれても判らない。ぼくは単純に、ドキュメントと言われると真実だと信じてしまう傾向にあった。確かに、現実ではあるのだろうが、あのヒョウやヒヒやハイエナが俳優でないという確証はない。ドキュメントといえど、感動を提供したいという意図を持って制作することに、娯楽作品と違いはない。Tくんの言葉に間違いはないのだが…。

 そんなことより、この青空だ。この美しさが残酷に思えるのは3・11から昨夜の嵐を体験したからだろう。昨夕はどうしても出かけなければいけない仕事があったので傘をさして家をでたら、ものの数分で傘は無残に吹き飛ばされ、ずぶ濡れになった。

 風や光を、もう素直に喜びとして感じることは出来ないのかと思うと寂しさがつのる。

密造酒の作り方?

p2011_0921_133757.JPG 朝から郵便局に手紙を出しに行ったら、帰りに集中豪雨に出会った。それは凄まじい勢いの雨だった。傘をさしていたが、下半身はぐっしょりと濡れてしまった。風呂に入りたい気分だったので、お湯を張った。昨日いただいた巨峰を朝から3房も食べてしまったので、皿に葡萄の皮が山盛りになった。

 イタリアではワインを作ったあとの葡萄の皮でグラッパという蒸留酒を造る。ならば、この葡萄の皮で何か作れないかと、鍋に入れて水を加え、弱火で煮てみた。見る間に水が濃い葡萄色に変わってゆく。ひょっとしてこのまま煮込んだら旨いジャムでも作れないかと思って、砂糖をどっさりと入れた。

 グツグツと煮えた葡萄の皮が旨そうだったので、箸でつまんで食ってみた。硬い!ジャムには程遠い。何か良い方法はないかと、インターネットを開いてみた。「密造酒の作り方」というのがあった。しかし、違法行為なので決して実行してはいけない、と断り書きがあった。

 いろいろ覘いてみたが、果実酒のように、焼酎かブランデーに浸すのが主流のようだった。しかし、その果実酒も個人が自宅で作るのは違法らしい。梅酒もだ。焼酎にはすでに税金がかかっているのだし、梅酒くらいは良い様な気もするが…。

 そうこうしているうちに、葡萄の皮からも大量のエキスがあふれて、旨そうな葡萄ジュースが出来上がった。コップに移し、冷蔵庫で冷ましてから飲んでみた。とても濃厚な葡萄ジュースだった。少し砂糖が多かったかも知れない。今度は砂糖を加えず煮込んでみよう。

 ああ、原稿書きの最中なのに、4時間も道草を食ってしまった。今夜は、この台風の中、ユーストリームとかいうインターネットにお呼ばれしている。舞台「江古田スケッチ」に出演してくださった真汐かれんさんプロデュースの番組らしい。塩山みさこ嬢と西本早希嬢も出演するようだ。20時半からの生番組だと聞いたが、どうなることやら。

ポテトが届いた雨の朝

p2011_0920_123013.JPG 11月公演の台本を書き終えた雨の朝、竹内緑郎を応援してくださっている長野のOさんから、おいしそうなポテトが届いた。

 御牧ヶ原という良質の粘土質が育む貴重なジャガイモの名は”白土”というらしい。この歳になっても知らないことばかりだ。これから来年2月公演の脚本を書くところだったので、早速、蒸かしながら原稿を書くことにした。

 浜田信二がポテトを買った江古田駅前の八百屋も今はない。雨の日にマンガを抱いてふらりと喫茶店に入る時間も今はない。あれから35年の歳月が過ぎ去った雨の朝、ひとりで蒸かして食べるポテトはどんな味がするのだろう。

 7月にキラキラ輝く青少年男子諸君で旗揚げしたジェームストーンプロジェクトの第二弾「幕末ジャンクション(作・演出 朝倉薫)」が11月8日(火)から幕を開ける。台本待ちだった稽古がようやく始まる。その前に2月公演の脚本を仕上げなくては。