午後の2時間渋谷界隈晴れ、かな

 朝から篠つく雨、あまりにも生い茂った庭の木をたまりかねて管理人氏が伐採してくれたのは、昨日の午後であった。届くはずの公演フライヤーが届かず、印刷所から宅配業者を追いかけて半日を費やした。ようやく手元に届いたのは夜も9時に近かった。

 一転、今日は雨模様。16時から渋谷で「僕のマリィ」の製作発表会があるので、そのあたりは晴れてくれると嬉しいのだが。

 何やかやで寝そびれていたら朝の6時に細野さんからメールが来た。今日の記者会見の記事が芸能評論家井上公造氏の今日の芸能界欄に載っているとのこと、嬉しいメールだが、細野さんはいつ寝ておられるのだろう?と、自分のことはさておいて、気になった。では、また。

 

何て素敵な!

 昨日の雨が嘘のような秋晴れの朝(といっても一般的には昼に違いない)、電話が。

 「僕のマリィ」のトークゲスト(10月22日金曜日夜の部)にお招きしているオールラウンドギタリストのぺぺ田代さんからだった。実は昨夜遅く、クライマックスシーンのBGMにぺぺさんのギターソロをお願いしてみた。快諾してくださったので録音をいつにするか思案していたところだった。

ぺぺさん「何なら、生で演奏しましょうか?」

朝倉 「えっ?!ぺぺさん、舞台は8公演あるんですよ」

ぺぺさん「毎日、弾きますよ」

 お言葉は嬉しいのだが、録音費用がようやく出せるくらいの予算である。算数の出来ない僕の頭はごちゃごちゃになった。

ぺぺさん「明日制作発表があると聞いたので、早い方がいいかと電話したんですよ」

 僕は、思い切って低予算であることを打ち明けた。ぺぺさんは快く引き受けてくださった。

 舞台は港町の岸壁に面した倉庫の裏、老水夫ジャックが人目を避けて酒をあおる場所である。袖からぺぺさんの生演奏が聴こえてくる。何と素敵な、何と贅沢な芝居だろう。老水夫を演じるのはハムナプトラ田中、人間に化けて現れる人魚はさとう珠緒、人魚を狙う大富豪の悪党ピエールには森川次朗、ジャックと親しいチンピラのアランには吉川拓臣、4人の俳優が役に命を吹き込む。照明、装置、そして音楽が芝居に参加する。

 舞台監督の犬飼克彦が、ある芝居で音響の助手を叱ったことがある。

「音響も芝居をしていることを忘れるな!」25年の付き合いになる犬飼克彦は、芝居の出来る舞台監督である。いつまでも貧乏劇団ではいけないと、自分に言い聞かせている。

 明日は16時から制作発表。話題のニコニコ動画で実況配信されるらしい。素敵なことだ。

”女優”さとう珠緒

 僕がライフワークとして劇団を立ち上げた頃、彼女は10代のアイドルタレントとして芸能界にデビューした。テレビドラマ、競馬番組の司会や情報番組の司会と、その幅広い活躍は誰もが知るところだ。その頃、僕の劇団には桜井智という看板女優がいて、順風満帆、チケットの売れ行き心配など無用だった。しかし、まったく関係ないさとう珠緒嬢の芝居が気になって仕方がなかった。

 僕は、さとう珠緒嬢のテレビでの活躍を観るたび、不思議に思うことがあった。彼女が芝居1本でいったら大竹しのぶ嬢や永作博美嬢のような美と毒を併せ持つ素敵な女優になれるのに、と、よけいなお世話だと叱られそうなことを勝手にほざいていた。

 そして、20年の歳月が流れ、拙作「僕のマリィ」をさとう珠緒嬢に演じてもらうことになった。1年早くても、1年遅くても、出会いはなかった。この「僕のマリィ」こそが、さとう珠緒嬢が女優としての凄さを披露する、あらかじめ用意された運命だったのである。

「そんな、大袈裟な」と、彼女はさらりと微笑むであろう。

 稽古初日、僕は彼女に大変失礼なことを言った。

「君は、今まで本気で芝居をしていないね。この作品では本当の君の芝居を演って貰うよ」

 何様だよ朝倉!と、彼女は内心怒り心頭だったかも知れない。しかし、彼女はサラッと微笑んだだけだった。

 初日の本読みで、共演者は絶句した。当然だが、さとう珠緒は本物の女優だった。僕がのた打ち回りながら芝居を作ってきた20年を、彼女もまた、確実に女優として生きて来たのだ。

 10月20日、シアターKASSAIで、初日の幕が上がる。

久々に音楽のステージで!

2010concertflyer.jpg 8月公演「月光の不安」にお越しいただいたオールラウンドギタリストぺぺ田代さんのギターコンサートで、「江古田スケッチ」を歌わせていただくことになった。落合恵子さんの朝日新聞エッセーに続いて、展開の読めない人生である。音楽関係の面倒をお掛けしているティアーズミュージックの藤原社長に紹介されてぺぺさんとお会いした日に話が弾んだ。僕よりひとまわり年下であるが、ギターへの情熱と人間性の豊かさに敬服した。公演は11月14日とまだまだ先のことである。

 10月公演「僕のマリィ」では、日替わりでサプライズゲストをお招きして、終幕後出演者とのトークショーを予定している。ぺぺ田代さんには22日金曜日にお越しいただく。実は劇中の音楽もぺぺさんの演奏でお願いしたいのだが、まだ言い出せないでいる。

 21日木曜日の昼はプロレスラーの崔領二さん、21日夜は映像監督の吉本潤さん、土曜日夜のゲストには動物写真家小川晃代さんをお招きしている。客席で芝居をご観劇いただいたあとで舞台に上がっていただく趣向なので、お楽しみいただけると思う。他にも、意外な方にスケジュールを調整していただいているので、そちらもお楽しみに!

最期だけでも気を使おう。

 友人と食事をしていて、黄昏から末期の話になった。

友人曰く「自由奔放に生きて周りに随分迷惑をかけているので、最期だけでも気を使おうと思っている。具体的に言うと、例えば、身体の自由が利かなくなったのに、野原を走り回りたいとか、マラソンを走ってみたいなどと、到底無理なことを言わない。物が食えなくなったのに、やれ寿司が食いたいだの、ステーキが食いたいとか言わない」

「確かに、未練がましいし、残された人たちもイヤだろうね」

「でしょう!だから、僕は、身体が動かなくなったら、最期にお別れの歌を聞かせてくれ、とか、物が食えなくなったら、一杯水をもらって、おいしかった!と、言って臨終を迎えたいな」

と、こんな会話だった。

 美味い食事を摂りながら、のん気なものである。末期を語りながら、他人事である。仕事を辞める気などサラサラない。僕を含めて結構な歳なのに、熱情がある。良いことだと思う。

 大正3年生まれの父が、なにやら想い出を綴り始めた。読ませてもらったが、面白い。もっと書くようにすすめた。大阪の姉の家に身を寄せているが、毎朝、起き立ての台詞が「今朝も生きていてすまないねぇ」だそうだ。あの戦争から65年が過ぎた。またぞろ空気がきな臭い。権力とは無縁の父が、僕の一番の誇りである。

 

 

ジャックとピエール

 雨を眺めながら喫茶店で台本を読んでいた。時計の針は12時28分。11時過ぎに歯医者に寄ったら祝日で閉まっていた。稽古は14時からだったので、台本を読んで待つことにした。歯の痛みも忘れた頃、時計を見たら12時28分だったのだ。

 どれくらい過ぎたのだろう、制作の杉本さんからメールが入った。「今、どちらですか?」時計を見た。12時28分だった。それでも、僕は時計が止まっていることに気付かなかった。随分早く稽古場を開けたんだ、と、おっとり席を立った。レジを済ませて喫茶店の壁時計を見ると、何と13時58分!腕時計を見る、12時28分、秒針が動いていない。ようやく気付いた僕は稽古場に電話を入れた。ジャック役のハムナプトラ田中さん、ピエール役の森川次朗さんはすでに稽古の準備が出来て僕の到着を待っていた。平謝りである。

 15分ほど遅れて稽古に入った。一通り読み合わせをして、港の倉庫裏で飲んだくれているジャックのもとへ、ピエールが人魚の話を聞きにくる場面の稽古をした。田中さん、森川さん、そして僕も、まったくジャンルの違う芝居の世界を歩いてきて、「僕のマリィ」というひとつの舞台を一緒に作る。お二人とも、初めて会ったのは稽古場ではなく喫茶店であった。僕に会う前にしっかり台本を読んでくださっていた田中さん、突然呼び出して、喫茶店で台詞を言ってもらった森川さん(失礼な話に真摯に答えていただいた)。たくさんの俳優さんと仕事をしたが、しがらみのない自由な仕事をしたいとスタッフに宣言していた僕は、本当に出会いが気持ちよかった。

 だから、稽古に遅れたことが残念でならない。18時に稽古が終わって、早速時計屋に修理に行った。何のことはない。電池切れだった。今日は朝から歯医者に予約を入れた。10時30分、もうすぐだ。14時からの稽古はジャックとアラン、アラン役の吉川拓臣さんとも面白いつながりがあることが判明した。遅れないようにしよう!では、また。

禍福はあざなう縄の如し

 悲しみの連鎖反応になすすべもなく呆然の日々に、あざ笑うように吉報が続いた。中国の故事に語られるように、人生は万事塞翁が馬、禍福はあざなう縄の如し、である。

 吉凶は裏表にあり、全ては自分の責任である。賽の目の丁半がコトリと入れ替わるように、ほんの些細な不注意で大切なものを失くすこともある。朝に最悪な日だと感じたのが、夕暮れに最良の日に変わることもあれば、その逆もある。運命の糸に操られていると感じるときは、ドタバタしても仕方がないので、身を任せたほうが良い。その逆もある。自身の力で強引にでもその場を逃れた方が良いときもある。さあ、今はどっちだ?一歩踏み出すのか、立ち止まるのか!

 いずれにしても、日々努力を怠ってはならぬと言う事だろう。経験から言うと、謙虚さを忘れたあとの反動は怖い。それは、個人だけではなく、ひいては国家にも言えるだろう。自尊心をなくしてはいけないが、よこしまな欲望は滅亡への一歩である。4千年の歴史を持つ国でも、体制が変わればその王道を忘れる。喉元過ぎれば熱さ忘れる、の例えを僕は戒めにしている。芸道の極意である世阿弥の「初心忘るべからず」も、同様である。

 黙々と稽古を重ねて、来るべき時に芸を披露する。それが僕らの生きることだ。新しい時代の鼓動が聞こえる。悲しみは乗り越え、喜びは分かち合い、夢と希望を道連れに、共に向かおうではないか!

芝居の開演に遅れて欲しくない訳!

 小説に比べて、 戯曲の単行本は売れない、というのが出版界の常識らしい。同じ物語でも、心理や情景の解説が効果的に挿入出来る小説と違い、戯曲は全て会話で説明しなくてはならない。視覚的に衣装や化粧、装置などで表現できるのは現状(衣装は金持ちか貧乏、装置も海から何メートルかはわからない)のみである。なので、戯曲は、小説に比べて不親切極まりない。戯曲は俳優の会話を借りて始めて息をすることが出来る。

 しかし、できるだけ観客に物語を理解してもらうために、幕開きの5分、10分でシチュエーションの説明を詰め込んでおく。だから、幕開きは最も重要な場面となる。チケットを買ってお越しいただいているのに、5分、10分遅れたからといって入場をお断りするわけにはいかない。脚本・演出を担当する僕にとっては、最も気を揉む時間ということになる。汗を拭きながら申し訳なさそうにお越しくださる方を席に案内しながら、思わず幕開きの場面を説明したくなったりする。

 遅れるにはそれなりの理由があるのは理解している。それでもあえて遅れないで欲しいと思うのは、戯曲作家の限界かも知れない。三島由紀夫「文章読本(昭和34年中央公論社刊)」に、未熟な戯曲の会話として一例がある。

「おい、平社員たる君が社長の俺に向かって何を言うのだ」

 いつも戯曲を書くときの戒めとしているが、開演に遅れる観客のために途中で説明を入れたくなったりする。読み返してくどいと気付くので削除するが、社長と平社員の関係を何処かで観客に説明しておかないと、未熟だといわれる台詞になってしまう。

 芝居をよくご存知の観客には良い台詞だとお褒めいただいた台詞が、誘われてお越しいただいた芝居初体験の観客にはよくわからなかったと苦情をいただくこともある。そんな方にも芝居を好きになっていただくために、脚本書きとしては日夜奮闘している。小説のように読まれる戯曲を書くという野望も諦めてはいないのだから、まあ、今日の愚痴は聞き流して欲しい。

乾いた夢と濡れた夢

 ひところ、「荒野聖」から入った泉鏡花に没頭していたことがあった。その鏡花の小説「日本橋」は目も眩む色彩の氾濫する言葉の美学の極みだ。明け方、まどろみの中で思い出すのが、「日本橋に手の届く、通りひとつの裏町ながら、撒水の跡も夢のように白く乾いて、薄い陽炎の立つ長閑さに、云々」の箇所だ。

 僕のみる”雨の降っている夢”では、前提として必ず誰かが死んでいる。それも現実では健康に生きている人物が死んだことになっている。ところが”乾いて眩しい夢”では、とうに亡くなった人が明るく生きている。心理学者に相談したことはないが、少し勉強した夢判断では、いずれも孤独に耐えかねた神経が発狂しないためにみる夢らしい。

 芝居に書けそうな面白い夢は、断然”乾いた夢”の方が多い。夢に入り込んだ途端、眩しさに目が眩む。重層になった夢はさらに乾いて真っ白な舞台になる。物語が何処まで続くのか怖い時もある。夢から引き返せなくなると思うのだから、何処かで醒めているのだろう。起きてすぐノートに書き留めたりはしない。脳で熟成したら書く。書こうと思っていて忘れてしまう夢もある。傑作だと思った夢も、日がたつにつれて荒唐無稽に思えることもある。

 濡れた夢は、妙に現実と連動していて、恥ずかしくてとても書き残せない。何年も何十年も覚えていて、何故忘れないのだろうと不思議に思う夢もある。そして、濡れた夢は、何度も繰り返しみることが多い。”濡れた夢”は、思考の迷路から抜け出せないでいるのだろう。

 現在明け方の3時58分。雨は頚椎病みの脳に拷問を加える。この痛みは、言葉に書けない。夢だけが頚椎の痛みを和らげる処方箋である。しかし、夢を選ぶことは、今のところ僕には出来ない。

 

人間の才能について

 同胞にとってなにか有益な人物である場合、その人間は生死の機会について思案するべきであると考えているきみは誤っている。 プラトン「ソクラテスの弁明」

 サキを読むと必ずサン=テグジュペリを書棚にさがしてしまう。戦時中の死という共通点が僕の中で二人を強く結びつける。1969年に出版されたジュール・ロワ著「サンテグジュぺリ愛と死」は、誠実な評伝である。その巻頭にあるのが「ソクラテスの弁明」の一文だ。ジュール・ロワは、自分はサン=テグジュぺリと5回ほど会っただけで友達ではなかった、と、ことわっている。だが、ロワの文章は誠実極まる崇高なまでの評伝に仕上がっている。

 サキには、彼の死後、彼を語ってくれる才能のある作家がいなかった。サン=テグジュぺリには、彼を讃える有能な作家が世界中にいた。それだけの違いである。

 昨日、劇団12期生の榊原和明が久しぶりに訪ねてくれた。彼と同期の西本嬢と落ち合って、六本木のシシリアで食事を摂り、秋葉原のスタジオに寄った。芝居の話で楽しい時間が瞬く間に過ぎた。 「プロなのだから、旧作を上演しつつも新作が書けるはずだ」と、二人して僕を励ましてくれた。後藤と真一(またか)の10周年記念のホンを書いているのだが、そういわれて、書きかけの「幕末英語塾」も今年中に書き上げると約束してしまった。

 10月公演「僕のマリィ」の主演にさとう珠緒嬢とハムナプトラ田中さんを迎えて稽古に入る。ハムナプトラ田中さんは、ご自身の人生が何度もテレビのドキュメント番組で放送されている。今回も稽古から本番までカメラがついてまわるらしい。僕の脚本でお二人の才能がほとばしってくれたら嬉しいことだ。また、脇を固めてもらうピエールに森川次郎さん、アランに吉川拓臣さんを迎えた。今回の出演者はこの4人の精鋭のみである。劇団員が全員で裏を支えてくれる。出来立ての劇場シアターKASSAIの久間代表ともお話したが、芝居への情熱は僕以上であった。人間の才能は刺激されて開花することもある。良い刺激が次々と訪れてくる。芝居の血が眠ることを許さない。書き続けるのだ。

 サン=テグジュぺリが「城砦」の中で人生の意味を書いている。「上昇ないしは過程でないものは意味を有しない」と。