人生の達人、その風格

 絶対に泣き言は言うまいと思っても、本音が出てしまう相手がいる。僕の場合は人生の師と仰ぐ山田廣作会長である。語れば数冊の本になるるほどの輝く経歴をお持ちの会長は、5年前に引退宣言をされた。昨日、稽古の前に、鹿児島におられると思って電話をかけたら「東京にいるよ、15時に赤坂へおいで」と言われて慌てた。「あ、あの、芝居の稽古で」と答えると、「それじゃ、9月だね」と、笑って言われた。「はい」僕はしょんぼりと電話を切った。

 泣き言ではなく、相談したいことがあった。すると、2時間後「明日、16時に赤坂プリンスで」と、山田会長から電話が。イタズラ好きの少年である。僕は稽古を抜け出し、落合恵子さんが書いてくれた朝日新聞の記事と、芝居のパンフレットを持って、赤坂プリンスに出かけた。

 何も言わなくても、山田会長はお見通しだった。「ゴダイゴが売れる前、僕は赤坂から世田谷まで歩いて帰ったことがある。交通費もなかったんだ。貸してくれと言えなくてね」にこやかな瞳は澄み切っていた。真っ直ぐ人生を歩いて来た人の美しい瞳だった。

「芝居を続けなさい。19年やって来たんだ。必ずいいことがある。人生いろいろだよ。それより、僕の携帯の待ちうけ、聴いた?」

「はい、新しく売り出される新人ですか?」僕は野太い声で薩摩の西郷隆盛を歌う待ちうけを思い浮かべた。

「僕だよ、CD出したんだ。西郷隆盛、カラオケにも入っているよ。歌、山田廣作」

茶目っ気たっぷりの笑顔だった。心の曇り空がすうっと晴れた。

好きなことをやっているのだ。苦しいのは当たり前。真っ直ぐ、諦めずに歩けばいい。

 着飾るでもない。驕るでもない。少年の頃の夢を追い続けて70年の人生を歩いて来られた達人が、目の前で人生の何たるかを示しておられる。優しい言葉をかけてもらい、ホテルの高いお茶をご馳走になれたのだ。他に何を望む?

 8年前もそうだった。乃木坂の喫茶店で、僕は看板女優のいなくなった劇団のことで今にも泣き言を言いそうになったとき、山田会長にケーキをご馳走になった。あのときも「劇団か、やり続けることだね」さらりと言われた。「では、稽古に戻ります」僕は、もうすぐ幕を閉じる赤坂プリンスホテルをあとにした。

 稽古は今日で終了。土曜日は主題歌、挿入歌の録音。日曜、月曜に仕込みの準備をして、8月3日火曜日に立て込み、場当たり、そして、4日水曜日に初日の幕があがる。

 大丈夫、僕はここにいるよ!出演者も、スタッフも、そして客席の皆さんも、芝居を楽しんでください。楽しさを競い合おう。そうさ、僕が一番楽しいのさ!(泣きながら言うな!)

15年の風雪

 「月光の不安」の初演は1997年2月シアターVアカサカだった。客席には、父親にせがんで連れて来てもらった小学5年生の少女がいた。少女はその劇団看板女優のファンだったが、劇団新人公演の演目と内容をラジオ番組で聴いて、どうしても観たくなったらしい。

 やがて少女は高校へ進学し、演劇部の副部長となった2年生の春、劇団主宰に手紙を書いた。「月光の不安」を、演劇祭で上演したいと。主宰は喜んで承諾した。彼女の高校が全国高校演劇コンクールでも名の知れた高校であることを、高校演劇部時代に県大会止まりだった主宰は知っていた。しかし、彼女の思い入れは部員に通じず、公演は失敗に終わったらしい。報告する彼女の悔しさが伝わってきた。

 大学へ進学した少女は、卒論にブレヒト論を提出するほどに成長した。そして、某劇団に入った。主宰は自分の劇団に来てくれるものと思っていたので、がっかりした。が、翌年、少女は劇団12期生として主宰の劇団に入団した。しかし、劇団は少女が憧れた看板女優も去り、主宰は評論家にビンボー劇作家と揶揄される、稽古場だけが残る貧乏所帯になり下がっていた。

 少女は諦めなかった。稽古場でのアトリエ公演を提唱し、プロダクションへの出張レッスン、主宰を励まし、鼓舞し、夢を語り、劇団員には厳しく劇団費を取り立て、消えようとする劇団の灯りをともし続けた。勿論、自分も働きながら稽古を続けた。その彼女が、少女の頃客席で観た「月光の不安」の舞台に立つ。役名は”谷川健”少女だった女優の名は”西本早希”。彼女のひたむきな姿を追いかけて全9公演のチケットを買ったという熱烈なファンの方もおられる。

 この作品は、そのことだけをもってしても、上演する価値があると信じる。公演パンフレットに載せようと、各出演者から「愛すること」とは何ぞやと、コメントをもらった。西本早希嬢のコメントは「愛することとは、責任を全うすること」と、返ってきた。他の出演者のコメントも、同じく誠実すぎて、プログラムに載せるのをやめた。主人公山田守は、どんな答えにたどり着くのだろうか?西本早希演じる谷川健は、傷つき倒れながら笑って言う。

「だって、友達のために死ねるなんて、今だから出来るんだ。ほら、大人になったら色々あるじゃん、”しがらみ”とかさ」

ここに、”しがらみ”を拒否するが故にビンボーな大人がいることを、谷川健は知っているだろうか?

夏公演間近に

 24日、25日のアトリエ公演(前夜祭・月光の宴)を終えて、いよいよ、8月4日の初日まで一週間余となった。今日(月曜日)から金曜日まで13時から21時まで通しの稽古に入る。演者もスタッフも苦しいだろうが、ここが正念場である。劇団創立時から、新人公演にはあえて難解な作品を選んで来た。12歳や16歳の少女に判れというのが無理な話なので、思い切り自分が楽しめる芝居を悔いのないように演じてくれたらいいと思っている。ただ、舞台経験のある女優陣には、アイドルだからとか理解出来ないとか、居直って欲しくない。限界まで挑戦して欲しい。必ず後で役に立つ。

 毎回、僕はこの作品が最期だと思って取り組んでいる。創立10年目あたりまでは、遣り残したことは次回の作品で、とか考えたりしていた。徐々に、そんな余裕はなくなり、今は必死である。絶対遣り残したくない。そう思うと、演出する言葉も厳しく、辛辣になったりする。前回の公演で初舞台だった満月あいり嬢が、前回あれほど痛めつけられたのに、今回も是非と、男役(しかも二役)に挑戦してくれる。半年でどれだけ成長したか、楽しみである。

 梨紗帆嬢は初舞台初主演、早野薫嬢も前回はリーディングドラマでの出演だった。彼女も初の少年役である。桜井まり嬢にも16歳の美少女で唯物論者という難しい役をお願いした。日舞の場面まである。出演者の全員、高いハードルがある。鼻歌交じりに出来る仕事が楽しいとは、僕は思わない。楽をしたかったら、場所が違う。芝居は作るのが苦しいから楽しいのだ。

「愛すること」は難しいが最も大切なことだと、僕は昔も今も思っている。そして、今も、その答えを探し続けている。中途半端にしか生きられないから、中途半端が大嫌いである。へらへら取り組める人とは、二度と芝居を作りたくない。嘘ばっかりついているから、嘘つきが大嫌いである。そんな人とはお茶も飲みたくない。愛することが苦手だから、不器用な人がとても気になる。とても世話を焼きたくなる。そして、嫌われたりする。人生とは、本当に儘ならないものである。

 愚痴でも弁解でもない。これは意気込みである。理解されたし。

友は遠方にありて

 夏だから暑いのは当たり前だが、今日も朝から”カンカン照り”(懐かしい表現だな)。30年前、息子に作ってあげた歌を思い出した。

サボテンムッシュ 作詞・作曲 竹内緑郎

♪ カンカンテリテリ 南の砂漠

サボテンムッシュが恋をした

ブロンド娘に恋をした

とっても悲しい恋をした

どんなに彼女を愛しても

抱いてやること出来ないよ

サボテンムッシュはトゲの服 ♪

 その頃、 音楽仲間がたくさん遊びに来てくれていたので、10数曲をレコーディングした。カセットで残っていたのを、赤杉卓磨がCDに焼いてくれた。先輩の荒木とよひささんがくれた「君が眠る前に」という曲は、息子とデュエットしている。ほのぼのと時代がよみがえる。

 昨日、稽古の合間に保坂延彦監督から電話があった。今、山梨の山間の村で新作映画の撮影中らしい。僕は、保坂監督の何ともいえない柔らかな映像が大好きだ。作品は山の分校の話らしいが、きっと素敵な映画に仕上がると思う。撮影は順調だということだった。

 保坂監督には、6年前のアトリエ公演から毎回ふらりと稽古場を覘いてもらっているので、我侭な言い方だが、来てもらわないと寂しい。相手の都合など考えないのは生来の良くない癖だと思うが、直らない。おお、もうこんな時間だ。13時から稽古が始まる。山梨は比較的涼しいと聞いた。こちらは猛暑の東京、皆さん、くれぐれもお身体ご自愛くださいませ。

ここにいるよ!

 大切なものを失った悲しみにくれてばかりいると、孤独の迷宮に落ちてしまう。「オルゴール」という歌に、その想いを込めて書いた。7月のアトリエライブ「前夜祭・月光の宴」で、8月公演「月光の不安」の出演者が歌ってくれる。

 幸せな仕事をさせてもらっている。「ここにいるよ!」は、主人公山田マモルの登場シーンのセリフだ。僕はこのセリフが大好きだ。20歳で逝った僕の初めての弟子、鈴木一記。映画を撮る夢が果たせなかったカメラマンの俊さん、僅か5年の命だった従兄弟の茂。死に目に会えなかった母。たくさんの大切な人を失くながら、僕は生きている。

 「ここにいるよ!」僕の言葉であり、大切な人たちの言葉だ。山田マモルは悩む。「悪しき魂を殺さずに滅ぼすのだ!」と、祖母に厳命されて「はい!」と答えてしまった。渡来する吸血鬼と戦うためだけに生きて来た一族の末裔である。どうやったら、殺さずに滅ぼすことが出来るのだろうか? 銀座みゆき館劇場で、少女たちが凛々しく演じます。8月4日から8日までの5日間です。昼夜2回上演します。是非、是非、お越し下さいませ。

 「ここにいるよ!」

 僕に声をかけてください。あなたと、この「想い」を分かち合いたいのです。

”眠らない僕の友達”のこと

 8月公演「月光の不安」プログラムに、”眠らない僕の友達”羽田共くんのことを書いた。共くんのことを書くのは、文化放送ラジオ朗読劇「こもれび物語」以来だから、十数年ぶりのことだ。あのときは連続劇だったのでじっくり書いていたら、いろいろあって、途中で打ち切りになってしまった。今回は、800字のコラムなので、出会いのエピソードを書いてみた。

 最近、眠らない人間が増えたような気がする。いや、僕が気付かなかっただけで、昔から眠らない人間はたくさんいたのだろう。僕に3本も「お金をかけた映像作品」を作らせてくれたプロデューサーの吉田健は「死んでからぐっすり眠ります」と言うのが口癖だったが、45歳の若さで逝ってしまった。神奈川の山の中にある病院に、マネージャーの角田くんと西瓜を下げて見舞ったのは夏の初めだった。「9月から復帰します」力強い声を聞いて3週間後、吉田健の訃報が届いた。あれから11年、僕に映像の仕事で声をかけてくれるプロデューサーは何処にもいない。

 「ひたすら声優志願」「13番目の旋律」「ガラス工場にセレナーデ」僕は自分が監督した作品を1本も持っていない。買うのも、照れ臭いものだ。時々、吉田健を思い出して、映像を観たくなる。そういえば、もうひとり眠らない男がいた。水木しげる先生の「妖怪幻想」を作曲した音楽家の森下登喜彦だ。彼は、調布の水木先生のお宅に伺ったとき「君こそ妖怪だね」と、先生に認めてもらったほどの”本物”だった。消息を絶って7年になる。森下登喜彦と作ったアルバムも、椿淳が借りて行ったまま、返してくれない。そうだ、誰に何を貸し出したかリストを作っておこう!

と、思いついても、そんな時間はないのだが…。あ、稽古に遅れる!では、また。

自ら忙しくしてしまった!

 暑中お見舞い申し上げます!

 公演プログラムの制作中だが、「初対面の印象を花で表そう」という企画が気にいって、自分から仕事を増やしてしまった。ご挨拶も、吸血鬼コラムもまだ手をつけていない。締め切りは今夜中だった。原稿がこぼれて出来上がりが遅れては、いつも仕事を急がせているスタッフに顔が立たない。

 それにしても暑い!パソコンがいつもより熱を持っているようだ。冷房を入れると頚椎にグッとくるので、入れたり切ったりしている。窓を開けると、熱風が吹き込んでくる。冷蔵庫にあったアイス最中を昼から3個も食べてしまった。スジャータのブルーベリー&カシスジュースをコップに注ぐと、新鮮な血液の色に見える。トマトジュースより、恐い。だが、乾いた喉には痺れるほどうまい。庭の気温は35度を越えた。

 田中耕平くんと海へ行く約束をしていた。思い出して電話をしたら、名古屋公演の最中だった。今月いっぱいは東京にいないらしい。8月下旬になってしまいそうだ。嗚呼、海が恋しい!耕平君と二人、ふらりと三戸海岸へ泳ぎに行ったのは一昨年のことだ。明日から稽古開始が13時になる。終了は22時。公演のご案内状もまだ百通以上書かねばならない。なのに、ブログを書いている。一日書かないと、何だか忘れ物をした気がする。最近、ほとんど身辺雑記になっている。と、いうか、これではボヤキだろう。お付き合いありがとうございます。では、また。

花の想い

 8月公演「月光の不安」のプログラム制作が進行している。今回は、出演者のプロフィール欄に、僕が初めて会ったとき連想した花を書くことにした。あくまでも僕の勝手な印象である。稽古を重ねて行くごとに新たな発見もあるが、第一印象は大切である。

 オーディション会場の空気は張り詰めていることが多い。高校の制服姿だった早野薫嬢が提出したオーディション用紙には、草色のマーカーで大きな字が躍っていた。目の前の彼女と見比べながら、少し空気が緩んだ記憶がある。あれからしばらく僕は”草野”と呼んでしまい、注意された。原因があの字であることは間違いない。だからといって、彼女のイメージがスミレや花菖蒲だったわけではない。

 桜井まり嬢は、前にも書いたが、彼女の舞台を見に行って劇場を後にした僕らを走って追いかけて来て、往来の真ん中で”ありがとうございました”と、大きな声で礼を言われた夏の午後の鮮烈な記憶が残っている。だからといって、彼女のイメージがひまわりだったわけではない。

 面白いもので、連想した花の”花言葉”を調べてみると、成る程と納得出来る。今回登場する花にどうだんつつじがある。四月に咲く白い呼び鈴のような可愛い花だ。花言葉は、慎ましやかな節制、とあった。冬に咲く福寿草の花は、幸せを招く花とある。その花言葉の女優は幸せを運んで来てくれたのだと、解釈している。

 吸血鬼ルイを演じる梨沙帆嬢とは、六本木のアマンドで会った。ビルの立替中で、アマンドとシシリアは現在仮店舗、アマンドは裏通りにある。プロデユーサーの渡邊裕二氏とケーキを食べたあとだったので、とても機嫌が良かったことを記憶している。だからといって、彼女の印象が、満腹の花言葉を持つアザミではない。

 偶然なら仕方がないが、俳優は私生活においても、人との出会いには気を配った方が良いと思う。まるで戦いのようだが、場所、時間、相手の状況、つまり、地の利、時の利、天の利という兵法は間違ってはいない。俳優にとって出会い、第一印象は最も大切である。大阪と神戸で、二度にわたって同じマネージャーにスカウトされたという満月あいり嬢は、そのマネージャーの事務所に所属している。すでに彼女の伝説は始まっているのである。

 うーん、あの緑色の字は強烈だった。あれが作戦だとしたら、大胆過ぎる。頭の固い審査員なら怒るかもしれない。草野、いや、早野薫は只者ではない。何と言う花を連想したか、プログラムをお楽しみに。

 

 

暑い夏が始まる!

 梅雨が明けたらしい。暑い夏になりそうだ。今朝はすでに32度あった

 昼からあちこち出かけて、夜は劇団MMCのミュージカル「星の王子様」を観に行った。ご存知サン=テグジュぺリの有名な寓話だ。劇団主宰の天野まりさんが脚本・作詞で、素敵なミュージカルに仕上げられた。昨年の10周年記念公演は残念ながら観劇することが出来なかったが、今年は縁あって、月光の不安の制作をお願いしている湯浅ますみさんとご一緒することが出来た。個人的には、キツネ役の遠藤かおり嬢の演技が、こなれているのか緊張なのか、とても不可思議で楽しく素敵だった。月光の不安に出演する満月あいり嬢はダブルキャストで、出番ではなかったのが残念だった。

 芝居を観ると元気が出る。公演の準備が山積みだが、明日は劇団の北原嬢が振り付けをした月島もんじゃ踊りのイベントがある。先週から劇団の西本嬢も参加している。月島もんじゃ祭り実行委員会さんには、パンフレットでもお世話になっている。協力できるのは良いことだ。

  駅の駐輪場に預けて置いた自転車の後輪がパンクしていた。気温が相当上がっていたのだろう。仕方がないので、押しながら帰った。「月光の不安」でルイ役を演じる梨沙帆嬢が少女人形舞台のブログを作ってくれた。是非、覘いてください。http://blog.livedoor.jp/shojo_ningyo/

一緒に生きよう、この夏を!

 8月2日生まれの僕は、夏が好き!と言われると、何だか自分に言われたようで、嬉しくなる。逆に、”夏、嫌いなんだよね”と、憂鬱そうに呟かれたりすると、”そ、そうなんだ…”と、胸が凋む。夏が好きな人も嫌いな人も、夏の真ん中は銀座みゆき館劇場へお越しください!公演は8月4日(水)から8日(日)の5日間9回公演です。

 真夏の生まれで夏が嫌いだと”その理由は?”と、話が発展するのだが…。生憎、ストレートに夏が好きで、当たり前の話で終わる。それじゃ面白くないので、何かないかと思い出してみる。あった、あった!生きて来た夏で、その4分の一は病院送りになっている。病気は一回もなく、全部怪我である。その内、意識不明で担ぎ込まれたのが4回ある。16才の夏、鉄棒から空を飛んで体育館の壁に激突して。19歳の夏、機動隊の棍棒で頭を割られて。35歳の夏、藪医者に頚椎を冷湿布されて。42歳の夏、車の事故で。…恥ずかしい事故もたくさんあるが、今思えば、一緒にいた人はもっと恥ずかしい思いをしたはずだ。この場を借りてお詫びします。

 病院でなくても、夏は僕にとって災難の季節なのかも知れない。一緒にいた人は、そうだと頷くだろう。ニースのカジノでスッテンテンの夏。仙台新港のサーフィン事故。パリニッコーホテルのプールを真っ赤に染めた、壁に激突事故。天草の荒磯で、素もぐりで岩に足を挟まれて死ぬかと思ったあの夏。思い起こせば、赤面ばかりの夏だった。

 しかし、こうして芝居が出来るのは、幸運にも事故を乗り越えて生きて来たからに違いない。僕と一緒にいたら、絶対面白い夏を過ごせるよ!それだけは、自信がある。が、巻き込まれないように、少し離れていたほうが良い。経験から覚えたのか、竹彦も、片山も秀峰も、どうも夏になると僕を避けている。気のせいだろうか。