紫陽花幻想

img_1795a.jpg東京が紫陽花の雨にけむる頃、僕のふるさとでは蜜柑の花が白い五弁の花びらをつける。東シナ海から吹き上げる海風に、丘は一面蜜柑の花で揺れる。幼い頃の妹が今でも時々夢に出てくる。クリ子、ひとみ、映子、妹の同級生は皆、50歳を待たずに星に旅立ってしまった。二度と会うことの出来ない少女たちを思って歌を書いた。

 また 会えるかな 君の笑顔に

 虹を追いかけたあの夏の昼下がり

 オレンジの花の咲く丘に帰りたい

 吹きすさぶ孤独もなく絶望もない日々は

 穏やかに流れる時間があるだけ

 本当の悲しみを知らずして

 本当の喜びはわかるまい…。

 「紫陽花幻想」少女人形舞台6月アトリエ公演(26、27日)のタイトルである。中、高校生はテストの真っ最中らしい。稽古を含めるとハードスケジュールをこなさねばならない。しかも、今回はじめての試みで、パントマイムプレィをやることになった。言葉のない芝居は確かに世界に通じるが、表現の難しさは倍増する。動きと表情だけで観客に物語を伝え、しかも、面白いと思わせなければ徒労に終わる。シナリオはくどいほど綿密に書いた。来週から稽古に入る。

 ショートプレィ&ライブとなっているので、歌も大切である。前回好評だった曲に加え、新曲もある。本当に芸事が好きな人だから、つらい稽古も楽しいと笑って言える。新アトリエに集まるのは、本当に歌や芝居が大好きな人たちばかりだ。少女人形舞台も、少しづつ形になってきた。プチ☆ドール(写真はアトリエこけら落とし公演から)も、今回は参加者が増えた。劇団HPでの発表も間近いと思う。ご期待下さい。

 それにしても、このビンボウ劇作家にアマンドでケーキセットをご馳走になって、ケチ作家と書かなくても…ねぇ(苦笑)

明日の風はどちらに吹くのか

 1月の日記に、5月のダービーまで注目する新馬を3頭記した。父がキングカメカメハ、母がエアグルーブという超良血馬ルーラーシップ、7年前のダービー馬ネオユニヴァースの仔ヴィクトワールピサ、そしてもう一頭はキングカメカメハとローズバドの仔ローズキングダムであった。ヴィクトワールピサは新馬戦でローズキングダムの2着のあと、皐月賞まで5連勝で、おそらく明日は1番人気に推される。ところが、共に新馬戦を快勝したルーラーとローズは、1番人気を裏切る下手なレースで人気を落した。おそらく4,5番人気あたりだろう。新馬戦から青葉賞(ダービーと同距離東京2400メートル)まで4連勝無敗のペルーサ、皐月賞2着のヒルノダムールという新興勢力が人気になるからだ。

  ローズとヴィクトワールの馬連⑦-⑧1点で行くべきだろう。と僕がいうと友人が①馬を推してきた。何とエイシンフラッシュである。オークスの失敗をまた繰り返すか。それも友情である。①-⑦-⑧の3連複で行かねばなるまい。もうひとりの友人は3、7、9、12の4頭立てだと豪語する。何万人のファンがそれぞれの台本を書く。それもダービーの面白さだ。そして台本通りの結果とならなくても、やっぱりな、と皆が納得するのもダービーである。7千余頭から選ばれた18頭が3歳馬の頂点を競うのだ。厩舎、生産牧場、馬主、そしてファン、それぞれの夢を背負ってサラブレッドが走る。手綱を捌く騎手は、眠れぬ夜を過ごしているかも知れない。もうひとつ面白いロマンがある。人気を分け合う⑦ヴィクトワールの父ネオユニバースがダービーを征したときの2着は⑨ペルーサの父ゼンノロブロイだったのだ。⑦と⑨の一騎打ちを願うファンも多いだろう。シナリオとしては、普遍的な大衆向け講談話、父の仇か返り討ちか!盛り上がるなあ。

 僕の台本は単純である。昨年10月25日、京都淀の新馬戦で1,2着を分けたローズキングダムとヴィクトワールピサ、鞍上はローズに小牧(地方からの叩き上げ)ヴィクトワールに武豊(中央競馬界のサラブレッド)だった。そして、7ヵ月後、頂上決戦のダービーに二人の姿はない!武豊は落馬負傷、小牧は騎乗停止!武の代役は弟分の岩田、小牧もまた弟分の後藤に鞍上を託した。武と小牧の絶叫が届くか!ゴール前の叩き合い!先頭で駆け抜けるのは?!

 いずれにしても、府中の東京競馬場に薫風が駆け抜ける頃、僕は銀座で打ち合わせをしている。JRAウイングビルの近くなのは、けして意図的ではない。美しい薫風がたてがみを揺らすことを祈っている。

オーディション☆

 連日、素敵な女優さんたちにお会いしている。稽古場にお越しいただくこともあれば、喫茶店でお会いすることもある。新人の方には、台詞を読んでいただいたり、ダンスを見せていただくこともあるので、アトリエか都内のスタジオでお会いする。

 8月公演の最も難解な役クリスティーヌは、3月からオーディションを重ねているが、なかなか決まらずにいた。12歳の美少女の姿で二千年を生きる吸血鬼。千八百年を生きる弟ルイをこよなく愛し、そしてルイを庇って凄まじい最期を遂げる悲しく美しい「化け物」の役である。

 昨夜のことである。秋葉原のアトリエに正真正銘12歳の美少女が劣らず美しい母親を伴って現れた。映画から抜け出したような光景だった。自己紹介もそこそこに、僕は役の説明を始めた。じっと僕を見つめていた少女は、ひと言「演じてみたいです」と、微笑んだ。50数年前にラジオドラマ赤胴鈴之介のオーディションに現れた吉永小百合嬢がオーバーラップした。勿論、50数年前のその現場に僕が居たわけではない。目の前の美少女のあまりにも涼しげなまなざしから、聞き及んでいた伝説を連想したのだ。心を動かすのは、ひと言でいい。その言葉が美しいかどうかだけだ。GACKT、高倉健、何かを見せた表現者のひと言は、美しい。

 二千年を生きる吸血鬼の役を12歳の美少女が演じる「少女人形舞台・月光の不安」の初日は8月4日(銀座みゆき館劇場)であるが、彼女には、6月26,27日のアトリエ公演にも是非登場していただきたいと思っている。

 8月公演の制作発表は6月中旬に予定している。他の役もまだチャンスがあるので、美しいものに限りなく興味がおありの方は、朝倉薫の少女人形舞台に是非挑戦して欲しい。

彼女の名前は早野薫

p2010_0526_235650.JPG 昨年末の公演「ベィビィシュガーコーン」で、主役を演じてくれた17歳の高校生早野薫嬢。10歳から芸能活動をはじめ、高1までAKB48で活躍していたらしい。オーディションの時は制服だった。声の伸びもよく、身体も動いた。演技も可能性を感じさせるものがあった。僕が最も高く評価したのは、彼女のまなざしだった。間違いはなかった。稽古に入っても素人のような弁解や鸚鵡返しは一切しなかった。少女人形舞台として2曲を歌って踊ったが、人形の何たるかをすぐに理解してくれた。僕は彼女の聡明さに驚くばかりだった。掛け算の九九もあやふやな僕にとって、理数系が得意という彼女は頼もしいかぎりである。

 あれから5ヶ月が過ぎ、早野薫はアトリエこけら落とし公演に駆けつけてくれた。そのまなざしは更に聡明さを増し、あらたな物語を秘めていた。大学受験を控えた学業と両立しながら、8月のみゆき館劇場公演にも出演してくれる。その舞台「月光の不安」で、彼女には、知的で一切のスピリチュアルを否定する美少女が吸血鬼の化けた少女に恋をするという難しい役を演じてもらおうと思っている(まだ決定ではない。彼女の山田守役も諦め難い)

 今、大幅に改稿している最中である。理数系の苦手な僕が理論や統計で攻める美少女のセリフを書くのは、実に面白い。早野薫なら何でもこなしてくれそうで、どんどんセリフが増えてしまう。それにしても、アトリエ公演で歌った「月の魔力」は絶品であった。8月公演はお見逃しなく。

アセチレンガスからLEDまで

 「眠狂四郎無頼控」(柴田錬三郎著)が日本初の週刊誌として発刊された週刊新潮に連載開始されたのは、創刊の1956年であった。今を去る54年前のことだ。書き出しが時代劇調になったのは、昨夜、日生劇場でGACKT主演「眠狂四郎無頼控」を観劇してきたからであろう。日比谷の日生は心地好い劇場だ。そこで、眠狂四郎を見ることが出来るとは夢にも思わなかった。アイエスのTくんに感謝である。

 感想から言うと、殺陣と音効、映像効果のバランスが絶妙で思わず息を飲まされた。W氏からロンドンの「オペラ座の怪人」が映像効果なくしては成立しないと聞かされていたこともあり、今後の舞台芸術の方向性がそこにはあった。もはや、豪華な装置は映像で賄える時代なのだ。

 主人公の眠は設定が西洋人との混血児なので、演じられる俳優が限定される。そこへGACKTである。美しすぎて言葉もない。しばらくは彼の独壇場であろう。音楽のSUGIZOも絶賛されるべき仕事振りだ。和音階を一切使わず、和太鼓、琴、笙などの和楽器を見事なまでに使いこなした。ロックで江戸を表現する挑戦は、まさにロック魂炸裂の、GACKTへのSUGIZOからのラブレター、いやラブソングに思えたのは僕だけだろうか。

 LEDという最新の照明器具を駆使していながら、昭和30年代の、アセチレンガスのともる神社の境内で見た巡回映画の匂いが舞台に漂っていた。客席に身体を沈めて、僕は余韻に浸った。6月の少女人形舞台がますます楽しみになった。

その花の記憶

人の手をかけて、薔薇もここまでカラフルになった。賛否は分かれるところだろう。昔ながらの血を吸ったように真っ赤な花びらを唇に含めば、あるはずもない記憶がよみがえる気がする。

 誰かが言った。「花びらを食べないでくださいね。身体に良くない養分があるかも知れないから」 なるほど、進化には様々な犠牲が伴っているようだ。しかし、舞台芸術だけは違う。数千年の昔から、人間の肉体、声を頼りに作り上げて来た。少女人形も筋肉の細部まで、バレェ、体操、日本舞踊、様々な基礎訓練を乗り越えなければ、思うような表現は出来ない。進化とは違うが、試行錯誤は科学と同じかも知れない。

薔薇の咽ぶ香り

 虚子の季寄せをめくっていたら、薔薇は五月の欄にあった。僕はてっきり6月だとばかり思っていた。公演などでいただいた花はなかなか捨てがたく、枯れ果てるまで部屋に置いたりする。湿気の多いこの季節は、その咽ぶような香りに圧倒されることがある。秘めやかなパーティで貴婦人方に囲まれているような幻想に誘われる。

 場所は決まって1936年の上海である。南京大路の裏手にあるダンスホールで、僕は陽気に踊っている。だが、心はマルセイユに飛んでいる。そして東京には僕を待っている女性がいる。薔薇は本当に危険だ。危ないのは棘ばかりではない。その香りこそが、最も曲者なのだ。

 「姉さん、本当は新しい血が欲しくてたまらないんだ。僕の身体を流れる血は、もう腐りかけている。散りかけの薔薇のように、この指がポトリと落ちてしまいそうな気がして、今にも気が狂いそうなんだ」8月公演「月光の不安」で、ルイが姉クリスにすがるシーンのセリフである。12歳の少女の姿をしたまま二千年を生きているクリスティーヌ、千五百年を少年の姿で生きるルイ、この二人を追い詰めるのは古神道宗家の末裔山田守、少年の姿をした美少女である。改稿中の脚本が薔薇の所為で思わぬ展開になりそうで困っている。美少女があと10人必要になっってしまった。

 山女も5月の季語にあったが、これは夏の季語なので驚くことはない。思い出した。38年前、僕の師匠の芝居で初めて舞台監督を務めた時の作品が「六月の薔薇」だったからだ。俳優座劇場だった。一週間公演の中日、何を間違えたか、1ベルで緞帳を上げてしまったことまで思い出してしまった。舞台にいた水森亜土嬢と内海賢二さんが本ベルまでもたせてくれて助かった。そうだ、あの時、公演が終わったら海に行こうと師匠に言われていた。海に行ったかどうか、思い出せない。レンタカーを借りた気もするが、あれは翌年だった気もする。ああ、また記憶の迷路だ。手帳やノートを見ればわかるのだが、押入れからダンボールを引っ張り出す元気はない。山女、山女、そうだ!海ではなく渓流釣りに行く予定だったのだ。いや、まったく記憶にない。今や、師匠に殴られた記憶さえ薄れかけている。麦笛や四十の恋の合図吹く 虚子。

五月雨の朝

 秋葉原に作ったアトリエのこけら落し公演が終わった。本当に、支えられていることを実感した3日間であった。装置、音響制作と大活躍をしてくれたAくんと二人で最後の後片付けをしてゴミを出し終わったのは午前1時過ぎ。それから深夜スーパーに買出しに行き、二人でささやかな打ち上げをやった。二人でアトリエのプランを語り合っていたのに、不覚にも眠りに落ちてしまい、朝、気が付くとAくんの姿はなかった。テーブルの上もすっかり片付けてあった。何てタフな奴なんだ、と思いながら、溜まった洗濯物を洗濯機に放り込んで、バスタブにお湯を張った。張り切りすぎて、ピックを持った右手の親指の皮が剥けてしまった。痛い勲章であるが、気持ちは晴々としている。

 季節の変わり目は日本語の美しさを再認識する。五月晴れと五月雨(さみだれ)、五月の季語の対極にある、風と緑を感じさせる言葉だ。オークスは2番のアグネスワルツが3着に入ったが、友人の推奨する15番は圏外に消えた。残念ながら2番15番のワイドは五月の雨に流れた。

 次回のアトリエ公演、そして8月のみゆき館劇場公演と、芝居三昧の日々が続く。一緒に、いや、支えてくれる人がいるからこそ、夢を追い続けることが出来る。だからといって、丸い金平糖にはなりたくない。今、あえて美しい言葉を封じ込めた、少女人形のマイム芝居を書いている。説明するのは、やはり言葉しかない。言葉を越えて伝わるもの、そこに、少女人形舞台の辿らねばならない試練がある。何だか迷路に迷い込んだ。時間はたっぷりある。まどろみながらゆっくり考えよう。

人は支えあうと書くけれど

 これは都合の良い話である。支えあう字は平等ではない。人は支えあっているのではなく、支えられているのである。誰かが頼って誰かが支えているのが、現実なのだ。振り返れば、いつも支えられているなあ、と、思う。今も、公演中あれやこれや支えられることばかりである。

 初日から2日間天気にも支えられたが、今日は朝から雨模様。僕の体力限界と共に雨というのも何だか象徴的だが、もうひと踏ん張りしてみよう。府中のオークスも雨かな。1枠2番のアグネスワルツはどうかな。書いたら極秘にならないが、友人から15番の複勝を推奨された。2番、15番のワイドでどうだろうYさん。樫の女王が決まる頃、僕は秋葉原の地下でギターを弾いている。今日は守永真彩嬢、高橋明日香嬢、満月あいり嬢、の歌の伴奏をする。いずれも、未来の大女優である。アトリエこけら落し公演、千秋楽満員御礼申し上げます。

 

身も心も…

 アトリエ公演2日目。2回公演が終わった。明日はもう千秋楽。マラソンで30キロ地点といえば大袈裟だろうか、たかがアトリエ公演である。とはいえ、お越しくださるお客様の期待に応えることが僕らの仕事、毎日全力を出し切っている。ボロボロ感というのか、帰宅して玄関で靴を脱ぐと、身体が崩れそうになる。昨日はそれでも風呂に入れたが、今日は歯を磨いていたら、目の前に幕が下りそうになった。こうなると思考力も鈍り、身体に続いて心もボロボロと崩れそうになる。これではいけないと気合いを込めるが、酔った時みたいに力が入らない。

などと、ブログを書き始めたが、何を書くかわからないので、この辺で閉じましょう。千秋楽を無事に乗り切るまで、臍下丹田に力を込めて、ハーッ!!!では!また明日。