34年ぶりのセッション

 岡野光矢は携帯電話を持っていなかった。秋葉原駅昭和通り口改札に15時の待ち合わせである。5分ほど過ぎたので、彼の実家に電話をかけた。「光矢は昼には出かけましたよ。あなたに会いに」受話器の向こうから彼のお母上のお元気な声を聴いていると、目の前で岡野光矢が手を振った。僕は、受話器を彼の耳に押し当てた。「はい!今会いました」礼儀正しい男に変わりはなかった。早速、駅から3分のスタジオに案内した。ステージにはAくんがピアノもギターも用意してくれていた。僕がギターでB♭メジャー7を弾くと、ピアノの前に座った岡野光矢がにっこり笑った。34年前、バンドメンバーが揃って最初に演奏した曲のイントロだ。何の躊躇もなく、彼はピアノを弾き始めた。27年ぶりにちゃんとピアノを弾くと言っていたが、腕は鈍っていなかった。次の曲は岡野光矢がイントロを弾いた。僕はギターでオブリガードを入れる。顔を見合わせた。いるはずもないバンドのメンバーの音が僕には聴こえた。無言で10曲ばかり続けた。調整ブースにいるAくんのことも忘れていた。

 劇団の西本嬢がスタジオに入って来て、僕らは演奏を止めた。「江古田スケッチ、聞きたいです」僕が岡野光矢を紹介すると、西本嬢が満面の笑顔で言った。原曲のキーで僕がギターを弾き始めると、岡野光矢がピアノでイントロのメロディを弾いた。当時ラジオの生本番で歌詞を間違えた僕が3番までちゃんと歌い終えると、西本嬢が拍手をくれた。彼女には5月のアトリエこけら落し公演で歌う守永真彩嬢の仮歌をお願いして来てもらった。「ひまわり」は岡野光矢の作曲である。「真昼の月」は僕の詞・曲なので、譜面を渡して練習に付き合ってもらった。次回は守永嬢も参加できることを告げて、解散したのは20時過ぎであった。

 それにしても、西本嬢が来てくれなかったら、僕らは延々と昔の歌を演り続けたかも知れない。音楽の素敵なところであり、恐いところでもある。

夜中の缶蹴り遊び

 昨年の夏、96歳の父が20歳前後に体験した恋愛話を昨日のことのように語りだしたことがあった。あの時は、はにかみながら語る父にいとおしさを感じて胸が熱くなったが、70数年前の記憶をそんなに鮮明に覚えているだろうかと、すこしは疑った。だが、しかし、何処かに忘れた古い記憶が、何かの拍子に突然鮮明に浮かびあがることもあるのだ。

 僕の場合は、30数年前の「夜中の缶蹴り」だった。いい歳をした男たちが、夜中の公園に集まり、子供のように缶蹴りをして遊んだ。鬼が缶を守り、隠れて忍び寄った敵が缶を蹴って逃げるのだ。鬼は缶を元の位置に戻し、足を乗せて逃げる敵の名前を呼ぶ。見つかって名前を呼ばれたら、捕まって仲間の助けを待つ。単純な子供の遊びだ。夏の夜毎晩のように集まって缶蹴りをして遊んだ仲間の顔が、30数年過ぎたある日、突然脳裏に浮かび上がった。その中の一人、石神井公園駅前で小さな喫茶店をやっていたKはすでにこの世にはいない。Aも、Tも10年以上音沙汰がない。A・Mはたいそうな漫画家になって、もちろん連絡のあろうはずもない。草野球、サーフィン、スキー、常に10人以上が群れなして遊んだ。そんな日々に別れを告げたとき、歌が生まれた。明日は、一緒に歌を作った岡野光也が、秋葉原の稽古場にピアノを弾きに来る。何かが始まろうとしている。それが何かは、今の僕にはわからない。時には流れに身を任せることも必要かも知れない。

 

 

 

 

雨の日の旅行かばん

旅行かばん 落合恵子(文) お世話になっている不動産屋に行ったら、あなたのことが朝日新聞に載っています!と、新聞のコピーを渡された。それは、落合恵子さんの随筆「積極的その日暮らし」で、なるほど僕が竹内緑郎を名乗っていた1978年に出したレコード「江古田スケッチ」のあれこれが書かれていた。バンド名は「竹内緑郎と旅行かばん」である。20代は旅行の合間に仕事をするほど旅行好きだったので、その名前にした記憶がある。

 ほのぼのとした優しい文章で随分お褒めいただいているが、そのことより、その記事を読んで自分のことのように喜んでもらえたことが嬉しい。4月3日の朝刊の記事を僕に渡すためにわざわざコピーして待っていてくださった。勿論、落合恵子さんに書いていただいたこともありがたいが、今まで事務手続きで終わっていた不動産屋で、何だか胸が温かくなる時間を過ごせた。

両性具有~あまりにも美学的な~

 トーマス・マンの原作をルキノ・ビスコンティが映画化した「ベニスに死す」で美少年タジオを演じたビョルン・アンドレセンを観たとき、バルザックの小説「セラフィタ」を思いだした。正確には解説にある「北欧には稀に見る美貌の持ち主がいる」という言葉が浮かんだのだが。美貌とは男女を超越した世界にあるのだと感動した。

 神話の世界において、両性具有とは、人間が男女に分かれる以前の形であって、男性神ヘルメスと女性神アフロディテが合体して「ヘルマフロディトス」と呼ばれたらしい。プラトンのいう「アンドロギュノス」は、あまりに完全無欠であったため、神に逆らう者として男女二つの性に引き裂かれてしまった。その原初の姿に還ろうとして、男女は互いを求め合う。映画「ヘドウィグ&アングリーインチ」で歌われる歌が、少しこじつけではあるが(男女というより男同士が引き合うという意味で)、まさしくプラトンの「エロス」を表現している。

  両性具有の美(エロス)をえがいた小説は多くあるが、いずれも、単なる同性愛小説ではないということの説明が饒舌すぎるきらいがある。バージニア・ウルフの「オルランドー」など、世界の奇書に分類されているほどだ。先に書いたバルザックの「セラフィタ」も読むのに疲れる。その点、「ベニスに死す」は、絶賛に値する。僕は、両性具有は究極の美学だと思っている。興福寺の阿修羅像の憂いに満ちた瞳にに少女たちが憧れを抱くのも、単なるブームではあるまい。月下美人が満月の夜、ポンと音を立てて花開く瞬間を固唾を飲んで見守ったことが何度もある。時には5,6時間も蕾を見つめていたこともあるが、開いた瞬間にえもいわれれぬ芳香が漂うあの刹那の至福は耐えて待つに値する。

 少年から男になる前、少女から女になる前、本当に刹那の時間、人間にして人間ではないアンドロギュノスの世界が存在する。「月光の不安」は、その刹那を追い求めて生まれた作品である。

アトリエ公演顔合わせ

出演メンバーと選曲中  ここは秋葉原、不思議な街の不思議なスタジオ。朝倉薫の新しい夢の発信地です。今日は、出来立てのスタジオで、5月21日(金)から始まるアトリエ杮落とし公演「薫風の宴」の出演者顔合わせ。ほぼ全員が揃って、ショートプレィの配役を決め、歌う楽曲の選曲をやった。三月のみゆき館劇場公演「LOVEMEDOLL」の本番5日前に無念のリタイヤに泣いたバイオリンの小栗あずき嬢も元気な笑顔を見せて成功を約束してくれた。

 さて、楽曲だが、三月公演で主役サルの次郎を熱演してくれた守永真彩嬢はいずれも新曲「ひまわり」と「真昼の月」を、ピアノ、ギター、ベース、バイオリンの生演奏をバックに歌うことに決定。同じく三月公演でヒロインのドール役矢島潤奈嬢は「花の記憶」と「遠い風のレジェンド」、昨年末のクリスマスファンタジーに出演してくれた早野薫嬢は「月の魔力」と「胸の中の小鳥」の2曲、そして、三月公演でカッコいいハンターを演じた満月あいり嬢は「プラテーロ」「アクトレス」で歌とダンスを、少女人形舞台のテーマ「那由多の契り」を誰が歌うかは保留となったが、全員で「アドベンチャーライフ」を歌うことは決定した。ショートプレイの方は「正しい少年であるために」を、立原役を渡邉沙織嬢、三島役を楠田亜衣奈嬢、村上役を安田絢乃嬢に決定した。8月公演「月光の不安」ダイジェスト版には、矢島嬢、石井早苗嬢、早野薫嬢に挑戦してもらいたいのだが、まだ決定ではない。りょうか嬢も二宮ゆりえ嬢も人形舞台で何曲も踊ってもらうので、芝居までは手を広げられない。問題の楽曲「海へ行くバス」を誰が歌うかということになって、何と、劇団の西本嬢と真一(またか)嬢がビキニで(?!)歌って踊ってくれるらしいが、こちらもまだ本気には出来ない。

  チケットは今日4月24日午前11時から、朝倉薫演劇団HPで発売開始です。素敵な舞台をお見せするために、稽古に励みましょう!

もんじゃ再び

201004221310000.jpg 冷たい雨の降り続く朝、月島に急いだ。今日は、月島もんじゃ祭りのテーマ曲でデビューする神坂美羽(かみさかみう)嬢オリジナルもんじゃの試食会である。僕が誘ったW氏やK氏は仕事の調整がとれず残念ながら次回のお楽しみとなった。写真のもんじゃ「どんなもんじゃ」は、確かに絶品であった。プレスシートにある食材を紹介すると、もんじゃのたれ、いかすみソース、キャベツ、イカ、ホタテ、タコ、トマト、鷹の爪、桜えび、干しイカ、揚げ玉、一部隠し味、とある。もんじゃのたれや隠し味は抜きにしても、充分に旨いもんじゃが作れると思うが、いかがだろうか。

 他にも、踊るもんじゃはミートソース風味の赤、歌うんじゃもんじゃはパンプキン&バジル風味の黄色、どんなもんじゃの黒とあわせてデビュー曲のタイトル三色のもんじゃを楽しんだ。CDのリリースは7月らしいが、イベントは次々と開催されるらしい。食わず嫌いだったもんじゃをこんんな形で食することが出来たのは実に幸運であった。振興会のN会長には大感謝である。

 

真昼の月

 留守中に作曲家の岡野光也氏が訪ねて来たらしく、楽曲の譜面とCD、それにシュークリームがお土産に置いてあった。会えていれば頼むはずだった新曲の譜面書きを自分でやることになってしまった。戯曲を書くようになってからもっぱら作詞だけにして曲は作曲家に発注していたので、岡野氏が残して置いてくれた五線譜ノートに「真昼の月」の歌譜を書いた。5月のアトリエ杮落とし公演で、守永真彩嬢に歌ってもらおうと思っている。金曜日がその顔合わせなので、今週は、台本を製本したり、出演者とのスケジュール連絡など、久々に忙しさを味わっている。

 それにしても天候が不安定だ。アイスランドの火山噴火も影響しているのだろう。終末論者はマヤの暦が西暦2012年で終わっていると煽っているが、あと二年しか無い。覚悟を決めろと言われても、やりたいことが多すぎる。さしあたっては、アトリエ公演を成功させて、8月公演に向かうことを考えようと思う。

 「真昼の月」作詞・作曲 朝倉薫

蒼い空に浮かぶ月を僕は涙に濡れながら見上げた

もしも世界が今日で終わり君と会えなくなるとしたら

どうしよう…

愛してることを言葉じゃなくて日常のホンの小さな事で

僕は君に何がしてやれるんだろう

世界平和とか革命だとかそんなことよりもっと大切な

君が本当に必要な事に気付くべきだよね

真昼の月が頷いたような遠い遠いそらの向こうで

君を想って歩き続ける今日という日を踏みしめて…。

ココアにシナモン

 医師に珈琲を制限されてからココアを飲み始めた。姉からココアにシナモンを入れて飲むと胃腸に良いと聞いて、毎朝飲んでいる。まだ効用の程はわからない。さほど凝り性とは思わないが、180年前世界で初めてココアパウダーの製造法を発明したというオランダのバンホーデンにたどり着いた。日本製のココアに比べて、確かに溶け方が違う。コップの底に残らない。スチールの缶も何となく存在感がある。珈琲には珈琲の歴史があり、ココアにはココアの歴史がある。C・J・バンホーデンが何故ココアパウダーを発明するに至ったか、そのエピソードもひとつのドラマである。

 押し寿司の時代に江戸前の握り寿司を考案したと言われる華屋与衛兵、サンドウイッチ、鉄火巻き、食する度エピソードを思い出す。しかし、雲丹や蛸を最初に食した人間の名前も知りたいものだ。よほど空腹か勇気のある人間だったか、どちらだろうか?河豚の毒に当たったら死ぬとわかっていて食うのも人間だ。などと考えていたら、河豚が食いたくなった。もう季節は終わった。胃を悪くしてから、物を食う夢が多くなった。昨日など、サウナから上がってステーキをむさぼる夢を見た。

 53年前、父に連れて行ってもらったレストランで、初めてフォークとナイフを使ってビフテキを食した。小学2年生の冬だった。緊張で汗ばみながら食べたことを思い出す。スクリーンから抜け出したような二枚目の父が、自慢だった。その父が倒れたと、先ほど姉から電話があった。ちょうど一ヶ月前、96歳の誕生日を祝ったばかりだ。人生とは、儘ならないものだ。西暦2010年4月20日未明…。

シザーハンズからアリス・イン・ワンダーランドまで

 ジョニー・デップの映画だと、何でも観てしまう。昨日Yさんがわざわざ予約してくれた「アリス・イン・ワンダーランド」を観た。日曜日とあって、飲食売り場には長蛇の列。ポップコーンを頬張りながら見るのが似合いそうな予感だったが、諦めて席に着いた。ピカデリーは背もたれも高く、前席のプレッシャーがないのが良い。M列の21番はちょうどスクリーンと平行で、実に見易かった。

 で、映画の話だが、まだ公開されたばかりなので、内容には触れないほうが良いだろう。お目当てのジョニー・デップだが、主演というか助演というか、微妙な立ち位置で、演技の冴えを見せるところも微妙だった。微妙というのは、なかなか良い言い回しだな。どっちにもとれるし、何となく意味深だ。Yさんには20歳のお嬢さんがいらっしゃるのでアリスの立場を慮りながら観られたそうだが、なるほど映画は多様な観方が出来るなと、僕のようにジョニー・デップの表情ばかりを追っていたら見逃す機微もちゃんと観ておられたので感心した。

 シザーハンズやパイレーツにおけるジョニー(と馴れ馴れしいが)の演技を求める映画ではないことは確かだ。しかし、あちらこちら、戦うのが女性ばかりになったら悲しいなと思っていたら、予告編でタイタンの戦いが上演された。こちらは凄まじい男の戦いだった。5月になったら観に行こう。

十年目の春に想う

 桜の舞い散る日に母が逝って十年が過ぎた。あの日、僕はシアターサンモールにいて母の訃報を聞いた。「0021・僕は君のために雨を降らそう」の千秋楽で、いくらマザコンの僕でも、自分の芝居の興行中に熊本へ飛んで帰るわけにもいかず、最後列の席に身体を沈めて冥福を祈った。プロデユーサーのYにだけは打ち明けておいたが、スタッフ、キャストには黙っていた。浅香唯嬢らゲストも多かったので、打ち上げが湿っぽくなるのがいやだったからだ。

 芝居のイロハから叩き込んでもらった師匠里吉しげみから、打ち上げが終わるまで芝居は終わらないのだと教わった。師匠の手作りの料理が楽しみだった若い頃を思い出して、僕も18年間打ち上げの料理を作り続けている。しかし、時代は大きく変わった。誰もが思っていることだろうが、報われない苦労のほうが多い。つまり、現代は何でも揃う夢のような便利な時代なのだ。それでも僕は、稽古場で下手な手料理を作り続けるだろう。迷惑な話かもしれないが。

 母は生前、村の道路沿いにコスモスの花を植え続けた。夏が終ると、見事なコスモスの道が続く。フランスに「世界で一番美しい村運動」があるが、この国も箱物作りに精を出すより花や樹を植えた方が安上がりで楽しいのに、と、母の営みを思い出す。最後を看取った姪から母の遺言を受け取った。全身に転移した癌の壮絶な痛みに耐えながら便箋に一枚鉛筆で書いた絶筆は、判読不能な文字だった。僕は母を想って意読した。我侭で、気が小さく、短気で、恐がりなくせに喧嘩ばかりしている少しも男らしくない僕を、いつも嘆いていた母のことだ。「胆の住まいを広くしなさい」以外にはないだろう。十年たって、少しは「胆の住まい」が広くなっただろうか。かすかな風の音にも目を覚ます神経は今も変わらないが、優しくあろうと、努力はしている。しかし、命日に墓参りにも帰らない僕は、相変わらずの親不孝者である。