喜多方さんの失踪

*フィクション

 舞台演出家公平くんの友人喜多方さんの突然の失踪は謎だらけだった。

勿論、それは公平くんにとって謎だらけで、喜多方さんには止むに止まれぬ事情って奴があるのかも知れない。連絡が取れなくなって3週間後、喜多方さんの妹じゃらさんが公平くんを訪ねてきた。じゃらさんは25歳で、38歳の喜多方さんより13歳若い。小柄で目鼻立ちがしっかりしている。公平くんは、彼女が女子大を卒業するとき、喜多方さんに頼まれて卒論の仕上げを手伝ったことがある。「ブレヒトの三文オペラと近代ヨーロッパの社会事情」というのが、卒論のテーマだった。お礼に食事をご馳走になった夜を加えて彼女には3回会っている。卒業して丸の内の大手商社に勤めていると聞いていた。

 先に喜多方さんのことを書こう。フリーの舞台美術家喜多方さんと同じくフリーの舞台演出家公平くんは、最低年に3回は一緒に仕事をしていた。東京に二千の劇団が活動していると言われているが、ほとんどは気心の知れたスタッフ同士ですることが多い。公平くんに演出の依頼があったら美術家は喜多方さんにお願いするし、喜多方さんも公平くんを呼んでくれる。

  「僕はね、マックドナルドの時給より少ない仕事は請けないことにしてるんだ」

 無精ひげを両手でなでながら言った喜多方さんのポリシーを公平くんはとても素敵だと思っている。計算したことはないが、公平くんは頼まれたらどんなに安い仕事でも、演出の仕事なら引き受ける。幸い何とか暮らしていけるが、喜多方さんに言わせると感心しないらしい。

 「僕らの仕事は、実に不安定だろう。だから、貯えだけはしっかりやっておく必要がある。そうすれば、気乗りのしない仕事は断れるし、逆にやってみたい仕事は手弁当でもやれるだろう?」

 そんな堅実な考えをする喜多方さんが何の連絡もなく失踪するなんてありえないことだと、公平くんは思っていた。妹のじゃらさんに話を聞くまではね。

(つづく)

昼下がりのハムレット

*フィクション

 舞台演出家の公平くんはセックスのあとにしかオムレツを作らない。シャワーを浴び、バスタオルを腰に巻いた格好でキッチンに立ち彼女の為にオムレツをつくる。

 弱火のフライパンにバターの塊を落としてから卵を割ってかき混ぜる。塩、ペッパーを少々まぶし、注文がない限りプレーンにする。バターが溶けたら、火を少し強めにして卵を落とす。ヘラですばやく表面をかき混ぜ、フライパンを傾け、卵を出来るだけ柔らかく丸める。納得いく出来栄えのオムレツを作るまで5年かかった。美味い店があると聞けば必ず食べに行った努力の結果だ。

 10年前に、同棲していた女優の千寿さんと別れて、独り暮らしの淋しさからオムレツを作り始めたらしい。彼の見事なオムレツを食べたことのある女性は、したがってそんな関係だと事情通には認識される。

 「公平ちゃんのオムレツ、チョーおいしいんだ!」

BテレビのプロデユーサーMさんのお気に入りだったグラビアアイドルのきのみちゃんが思わずタレント仲間に口走ったおかげで、Bテレビ後援の舞台演出をおろされたこともあった。以来、公平君はタレントを誘わないように心がけている。

 公平くんが女優さんにもてるのは、オムレツ作りが上手いからではない。その演出が限りなく優しいからだ。例えば、台本の読み合わせでも、女優さんがとちったり誤読しても何も言わない。発声が出来てない女優さんが小さい声で読んでも優しく頷いている。そして、お疲れ様となったあとで、演出席に手招きし、誤読は丁寧に修正してやり、声の出ない女優さんには簡単な発声法を手をとり教えてあげる。その間も、微笑みは絶やさない。公平くんが眉間に皺を寄せるのは、深夜演出プランを練るときくらいだろうが、だれも見たことはない。

 親しくなると、公平くんはハムちゃんと呼ばれる。名前の漢字が公なので、上下分解しただけなのだが、小動物ぽくってよけいに親しみが増すようだ。

 「36歳にもなってハムちゃんはないだろう」

と、友人の喜多方さんは多少ジェラシーを込めてそう言う。

(つづく)

南風に乗って

 風の音が柔らかく感じられる。もうすぐ春が来る。

季節を追って移動する渡り鳥と違って、定住する人間はやって来る季節を待つのだ。

だから、冬は去り春が来る。南風は暖かい空気だけではなく、何となく幸運を運んでくるような気がする。昨日、稽古の終了間際、W氏から電話があった。終わって、食事でも一緒にとメールした。忙しそうだから独りで”淋しく”食べると返事が来た。そんなメールを返されたので”意地でも一緒に食べよう!と再メールを返した。では、六本木の「竹やん」で待つと返事が来た。

 心優しい友は、湯豆腐を注文して待っていてくれた。僕の胃の具合を心配してくれているのかと、グッときて、ありがとうと言うと、俺が食べたかっただけさ、と、憎まれ口を叩いた。女性だったら、こういうのをツンデレというのだろうか。とにかく、優しいくせにへそ曲がりで、ああいえばこういう、の典型である。そういえばミュージカルが嫌いだと言いながら、マンマミーアはニューヨーク、ロンドン、ロスアンジェルスで計6回観たと言っていた。3月には、「オペラ座の怪人2」に招待されてロンドンに行くそうである。だから、みゆき館劇場には行けないと嘯いていた。始末におえない男である。どうしたら素直に返事してくれるのだろうか、と、帰り道に考えた。背中に南風が心地よかった。

 朝、「ご馳走様。今度は僕がご馳走するね」とメールすると、”期待してます”と返事が来た。素直すぎる返事に驚いた。今までだったら、期待しないよ、とか、無理無理!とか、憎たらしい返事が返ってきたのに、どうしたのだろう?身体でも悪いのだろうか?と、あまりの素直さに心配になった。3月公演は絶対観に来てもらえるように稽古を頑張ろう。

アプネア

アプネア=APNEA(ラテン語で息を止める、の意)

 山に育ったが海も近く、子供の頃から水に潜るのが好きだった。3分以上潜れるようになった小学5年生の頃、 姉を驚かせたくて風呂に潜ったまま死んだふりをしていると、覘きに来た姉に頭を押さえつけられて、本当に溺れそうになったことが何度もある。

 姉は姉で、机にうつ伏せたまま息を止めて目を剥いて死んだふりをした。僕は、ころあいを見計らって姉の鼻をつまんでやった。実に不謹慎でバカな姉弟であった。(いまも相変わらずだが、姉の名誉もあるので沢山のバカバカしいエピソードが書けないのが残念である)

 後年、脚本を書くようになって、水に潜る女性の話を書くことになった。劇場用映画の脚本でタイトルは「アプネア」、そのものずばり「息を止める」である。その中で、姉が風呂に潜って失神し、弟に救急車を呼ばれるシーンがある。僕と姉を入れ替えた実にリアリティ溢れるシーンだが、そう思っているのは僕だけで、他人には絵空事に映るかも知れない。映画や舞台は、多くの賛同者を得て成功と呼ばれる。一部の人にしか褒められない僕の、ビンボウな所以である。

 「アプネア」は、今のところ映画監督の保坂延彦氏がただひとり映画にしようと頑張っておられる。ただひとりでも、面白いと思って下さる方がおられるだけで、僕は幸せを感じる。欲望の限りなさも儚さも、年月が過ぎてみなければわからない。脚本は、一番不可思議な「人間」を書くのが最も面白くて、最も難しい。

オレンジマーマレードの瓶

蘇る庭の雑草 暖かい日が続いている。

庭の陽だまりでぼんやりと今日の稽古プランを考えていたら、洗面所からキュイーンという近未来的な音が聴こえた。SF映画で謎の円盤が下りてくるときのSEみたいだった。

行ってみると、ここのところ調子を崩していた乾燥機が危険信号音を発していた。電源を切ると音は止んだ。3度の引越しに同行した乾燥機も、そろそろ寿命なのかも知れない。

 洗濯物より音が気になった。舞台で使うアクション場面のSEも、危機感をつのらせる不可思議な音が面白い。音響の淺川くんに電話をして、作ってもらうことにした。「乾燥機の壊れる悲鳴音がいいんだよ!」と、また訳のわからぬことをいう朝倉であった。

 待てよ?!確かに何処かで聴いたことがある。ふたたび庭の陽だまりの中、ぼんやり椅子に座って考えた。風もなく、静寂な時間が流れる。

 思い出した。答えは冷蔵庫の中だ。キッチンに行って冷蔵庫を開けた。オレンジマーマレードを入れたガラス瓶を取り出す。ひんやりと心地よい。ガラスで出来た瓶の栓をひねった。”キュルッ”と、軽い音がする。乾燥機の悲鳴音とは大きく違うが、増幅すれば不可思議な音になる。そういえば、昔の音響さんはデンスケ(録音機)を担いであちこち音を拾って歩いていたなあ。

 10年以上前になるが、TBSラジオで「声優道場ラジオドラマ」の脚本・演出をやっていたことがある。出演者もスタッフも気心の知れた仲間で、出来るだけ手作りの音で放送した。苦労もあったが、作る過程が実に楽しかった。

数年前、歌手松山千春の30周年記念ラジオドラマ「足寄より」を作ったときも、音響の大御所Iさんが、わざわざ30年前の札幌市電の音や月星ゴムのスニーカーの足音、十勝平野を走る汽車の汽笛など、わくわくする音素材を提供してくださった。俳優の芝居がメインなのは当然だが、こうした効果音も心を込めて作っている。舞台監督の犬飼克彦くんは、スタッフの心意気をもっとも大切にするひとなので、僕はいつも楽しく演出が出来る。

ルーキーはいいねっ!

 「はい!サスってなんですか?!」

 立ち稽古に入って二日目、初舞台初主役の新人女優守永真彩嬢が手をあげた。わからないことがあったら何でも聞くように、と、稽古始めに言ってある。

 サスペンションライト(天井から吊るした固定のスポットライト)のことを、サスと省略していうが、そのときは、「ここがサスが落ちる場所だからね!」と、稽古場の舞台で説明していた。

 「天井から落としたライトのことだよ」と、教えると、彼女は目を丸くして「天井からライトが落ちるんですか?!」と、驚いた。「いや、落ちるのは照明の明かりだけ、ライトは落ちない」

 稽古場は大爆笑である。明るく素直で、一から演劇を学ぼうとするその姿勢は、初舞台初主演の重責を背負って光り輝いている。役は、何とサルの次郎。バカでおっちょこちょいで、弱虫で泣き虫、でも、こうと決めたら一本筋を通す男の中の男サル、猿回しのサルである。

 アイドルに何という役を?!と、彼女のファンの方にはお叱りを受けるかも知れないが、それは、彼女の舞台をごらんになってからにしていただきたい。1ヶ月後、銀座みゆき館劇場の舞台で、彼女は一世一代の演技をお見せする。見事演じきりましたら、拍手ご喝采を!

 それにしても、ルーキーはいいねっ!心が洗われる。何気なく流してしまうことの中の大切なことを気付かせてくれる。無我夢中で疾走する姿は、遠い昔の僕を思い出させてくれる。流した涙は、きっと宝石に変わるだろう。

頭の中がポカポカ陽気?!

 今日から立ち稽古に入った。稽古場に行く前にいくつかの打ち合わせがあり、新宿、五反田、新小岩、と移動した。途中で、何か忘れていることに気付いたが、それが何かは思い出せないまま、稽古に入ってしまった。立ち稽古初日ということもあって、熱が入った。21時に終わって、新宿でスタッフと遅い夕食を摂って別れた。まだ思い出せない。何を忘れているんだ?!

 「しまった!今日は舞台監督との打ち合わせがあった!」

 思い出したのは23時過ぎ、帰宅寸前、連絡しても遅すぎる。と、携帯電話を開いてみたが、先方からの着信履歴はなかった。と、いうことは、彼も忘れていたのかも知れない。などと、都合の良いことを考えながら帰宅してして、そこでまたまた思い出した。僕の方から、今日の都合のよい時間を連絡して待ち合わせることになっていたのだ。そして、その場に装置屋さんも呼ぶことになっていた。嗚呼、何と言うミス! 明日朝一番でお詫びせねば!

 何処か頭のネジが緩んでいるように感じる日がある。そんなときは、本当に気をつけないと、取り返しのつかない失敗をしてしまう。まだ春には程遠いのになあ…。

ぼやぼやが先だった! 語源

前回のブログで、「ぼんやり」から「ぼやぼや」が生まれたようなことを書いたが、調べてみると、小火(ぼや)=小さな火が音をたてて燃える様を古語で「ぼやぼや」というらしい。

それに、雪洞(ぼんぼり)も、何と、江戸時代にはぼんやりとした様を「ぼんぼり」と言っていたらしい。ということは、ぼんぼりも擬声語だった訳だ。「おう、あっちにぼんぼりと火が見えるぜ」とか言っていたのだろうか。

 今書いている「幕末英語塾」という戯曲は、明治維新当時の英語学習法にある「あげどうふ=I GET OFF」やあまりにも有名な「掘った芋いじるな=WHAT TIME IS IT NOW」など、真面目か冗談かわからない言葉あそびをしていて生まれた。九州から京へ来た浪士が「ばってん!先生」と言ったのを聞いた先生が「ほほう、BUT THENか、おぬしなかなかやるな!」と、感心する場面は苦し紛れに書いたが、面白がられた。長崎や熊本で使う「ばってん」は、しかし、とか、そうは言っても、と、英語のBUT THENと同じ意味なのだ。そういえば、僕の故郷の隣町「矢部」は、古代ヘブライ語で「こんにちわ」と言うと聞いたことがある。その町の神社には、モーゼの使徒が持ってきた仮面が祭ってある。何処かには、信長5歳の頭骨とかあるしね。何だか、話が横道にそれてしまった。ぼやぼやが先だったとはねえ…。

 

雪やこんこん・擬声語の不思議について

 深夜に、漆黒の空から舞い降りてくる柔らかな雪を見上げながら歩いた。

 雪は「こんこん」とか「しんしん」とかの擬声語で降ってくる。ふと、擬声語を初めて口にだしたり、書き残したりした人のことを思った。「ひたひた」と歩きながら、道の端に「つくねん」と乗り捨てられた自転車に「ふんわり」と雪が舞い降り、「しゅわっ」と溶けるのを見た。

 使う、使う!僕らは誰かが考えだした擬声語を「ばんばん」惜しげもなく使っている。だが、不思議なのは、いつの時代に誰が何処で使い始めたか知らない擬声語を、ほとんど共通認識のもとに、北は北海道から南は九州まで、疑問もなく使っていることだ。

 列が進む「粛々」とかは意味がわかる。しかし、擬声語はほとんど個人の感性から出た言葉のはずだ。「こんこん」狐の鳴き声や風邪の咳ではない。わからない。なのに、雪が「こんこん」と降るのだ。うん、何となくわかる。なんて素敵な発想だろう。考えてもなかなか出てくる言葉ではない。

 僕は「ひたひた」と歩いた。深夜ではなく、晴れた午後だったら、きっと「てくてく」歩いただろう。「てくてく」も素敵だな。歩いている様が見えるようだ。「だらだら」「ぼろぼろ」「ぐじゃぐじゃ」「しめしめ」 なんとなく耳障りがする。「ぐんぐん」「どんどん」「ガンガン」「バリバリ」何だか鼓舞されるようだ。

 こうしてみると、擬声語にも充分「言霊」が宿っているように思える。深夜に「てくてく」歩いても構わないはずなのに「ひたひた」歩いてしまうのは、言霊の為せる技なのだろうか。実に不思議だ。極力、耳障りな擬声語は使わないように心がけよう。

  「ぼんやり」が「ぼやぼや」になったのはわかるのだが、「ぼんやり」は朧からきたのだろうか、それとも雪洞(ぼんぼり)の薄明かりからだろうか。落語では「ぼんやり」している人のことを「昼行灯」と揶揄したりするしね。「ぼんやりするな」と「ぼやぼやするな」も、使い方次第で随分印象が違うなあ。などと、考えているうちに家に着いた。雪は「すっかり」止んでいた。

これで演技が上達する!

 まるでハウツー本のタイトルだが、3月公演「LOVE ME DOLL」の稽古に入って2日目、初舞台の出演者が確実に上達しているので間違いはない。

 その1、感情を込めて読む前に、棒読みでも良いから大きな声で読むこと。

初日の読み合わせは、全員が演出家と向かい合い、絶対に横を向かないこと、一言一句台本の文字を忠実に読むこと、を条件に開始した。椅子に座っての読み合わせなので、姿勢にも注意した。椅子には浅く掛け、体重はかかとではなく足の前にかけること。口から出る言葉が長い棒だと想像して、真っ直ぐ伸ばすことを意識して、首や頭でリズムを取らないこと、など、いくつか細かい制約をつけた。経験のある俳優なら当たり前のことだが、新人にはすべてが初体験である。感情を込めるなと言われて戸惑ったに違いないが、素直に実行してくれた。

 今回、少女たちの舞台にただ一人特別出演で参加していただいている伊藤アルフさんの発言には胸が熱くなった。それは、さりげない呟きだったが、少女たちの誰にも聴こえた。前を向いて真剣に大声で台本を読む少女たちと一緒に台本を読むアルフさん、美しく噴出す額の汗を拭きながら「私、忘れてた、この初心が、大事よね」

 ともすれば、ベテラン俳優は、見ていられないのか演出家に無断で新人にアドバイスをしたがることがある。勿論、アドバイスは経験からして的確に違いない。だが、俳優ならそんな暇に自分の台詞を覚えてくれと、演出家は思う。

 伊藤アルフさんは、当然のことよと笑うかもしれない。が、若い新人たちにとっては、ベテランが自分たちと一緒に大きな声で棒読みしてくれることが、どれほど心強いことか。間違いではないのだと、さらに本読みに熱が入る。今日が読み合わせ3日目である。新人たちも、きっと身体を動かしたり、感情を込めたくてウズウズしているに違いない。では、稽古場へ。