ヨコハマ山下町

201001301912000.jpg201001301624000.jpg201001301616000.jpg京浜東北線を山手で降りたのは午後の4時過ぎだった。ぼんやりしていた訳ではない。山下公園に向かって、元町を抜けて歩いてみたかったからだ。
夢は夢でしかない。それは解っている。人間の脳は、一瞬にして記憶を繋ぎ合わせたり、他人の情報を取り込んだりする。夢で失くしたものが現実で見つかる訳がない。横浜とヨコハマは違う街なのだ。幾つもの路地を抜け、坂道を登り降り、山下町に着いた時刻には西の空に月が昇っていた。夢の路地は見つからなかった。迷路の行き止まりに寂れた宿があった。確かに上海の南京大路にあるはずの旅宿だ。僕は迷わず、扉を開けた。夢の続きが始まりそうな予感が、僕の背中を押した。

夢の街 ヨコハマ

 夢に出てくる街で、一番多いのがヨコハマだ。カタカナで表記したのは、現実の街横浜に似て非なる街だからである。統計をとったわけではないが、10代の後半から頻繁に出てきて、一時マルセイユに一位の座を譲ったが、上位3位から下りたことはない。行ったこともない街がまだいくつも夢にでてくるが、横浜も年に一、二度訪ねるくらいの街だ。なのに、夢ではそこに住んでいたりする。

 霧雨に濡れた敷石を雨の滲みこんだ靴を引き摺って歩く僕は、時には医者だったり、時には私立探偵だったり、時には追われる犯罪者だったりする。山下町の岸壁に浮いていたこともある。時代は昭和初期が多い。中でも、ニューグランドホテルが開業した昭和4年から、2・26事件のあった昭和11年がとりわけ多い。

 今日はこれから、夢に出てきた路地裏を探しに、横浜に出かける。午後の陽射しが眩しい冬の週末、仕事は人に任せて。

 

月島もんじゃ祭り

もんじゃ娘たち 劇団女優北原マヤ嬢が振付けた「もんじゃ踊り」の発表会に付き合った。写真は今日踊った「もんじゃ娘」たち。今年の10月、月島を三千人のもんじゃ娘が踊って練り歩くらしい。壮大な企画の第一歩に立ち会えて、夢をかなえようと頑張る人たちにエネルギーを貰ってきた。

 10数年前、TBSラジオで「声優道場」というオーディションとその合格者によるラジオドラマを作っていたことがある。その何回目かの優勝者で声優・舞台女優として活躍する由愛典子(ゆめのりこ)嬢が、何と司会者と踊りで参加されており、同期の劇団女優真一涼(またかりょう)共々、再会を喜んだ。続けていれば、何処かでめぐり合う。僕らの仕事はそんな狭い世界だ。

 だからこそ、まっすぐ前を見つめて、来る日も来る日も芸を磨き続けなければならない。真面目に頑張っている者が報われる世界こそ、僕らの目指すところだ。そろそろ3月公演LOVE ME DOLLのフライヤー原稿が仕上がってくる。何事も一夜にしては出来ない。スタッフに感謝しながら、明日へ進もう。

真似しちゃいけない夢実験

  高円寺のアパートに住んでいた頃、夢実験に凝ったことがあった。Kくんとユングの話をしていて、僕らは悪乗りしてしまった。

「夢でさあ、明日に行けたら、タイムマシーンと一緒だよね」

「理論的には間違ってませんね」

「成功したら凄いことになるよ」

「何がですか?」

「だって、明日の競馬場に行ってレースを見てきたら、百発百中じゃないか!」

「ホントですね!」

 早速、ユングのマニュアルに忠実にKくんと僕は実験を開始した。

1)眠りに入る。夢が始まったら意識的に自分の手を見る。

 僕は第一段階で脱落した。面白い夢は見るのだが、どうしても自分の手を見ることを忘れてしまうのだ。そして実験にも興味を失くした。

「見ましたよ」

3ヵ月後、Kくんが青ざめた顔で現れた。

「まだやってたの?」

 夢実験などすっかり忘れていた僕は、ふたたびKくんに付き合うことにした。

2)夢の中で意識的に自分の手を動かせるようにする。

 Kくんは2)を3週間でクリアした。その頃からKくんは僕のアパートで寝泊りするようになった。眠っている時かなりうなされるので、家の人に心配され始めたらしい。

3)自分の意思で足が見えたら一歩踏み出して見る。

一攫千金、億万長者は目の前だ。未来に行って帰って来ることが出来たら、競馬どころか、株に占い、僕らは人類の夢を叶えられるのだ。ノーベル賞も夢じゃない。Kくんと僕は、前祝いに有り金はたいて、ちょっと贅沢なステーキを食べた。もちろん、ユングにも乾杯した。

 さあ、今夜はKくんが人類未踏の第一歩を踏み出すのだ。僕らは若かった。そしてバカだった。眠りについたKくんは、すぐにうなされ始めた。それは、地獄の底から聞こえてくるような、不気味な唸り声だった。僕は起こすべきか迷ったが、あまりの凄まじさにKくんを揺り起こした。

 窓から差し込む月にぼんやり照らされたKくんの青白い顔を覗き込んだときは、まだ気付かなかった。電気をつけて、僕は腰が抜けるほど驚いた。23歳のKくんの髪は真っ白になっていたのだ。かすれた声でKくんは言った。

「足が、踏み出せませんでした。何かが、僕を引き止めて…」

チー公の話

 夜更けに木枯らしの音なんか聴こえてくると、昔反物を売り歩いていた頃を思い出すんだ。あれは、香港で色々あって(話せば長いからね)身体ひとつで東京に戻った冬だった。確か1982年。最後の大物チー公Kさんと出会ったのは、新大久保の看板も無い呉服屋の二階だったなあ。まとまった金が欲しかった僕は、知人のまた知人の紹介で、Kさんを手繰り寄せたって訳だ。差し出された高級そうな和紙の名刺には、呉服総卸問屋云々、肩書きは着物コンサルタント何某の墨文字。銀縁の眼鏡がいかにもインテリ風だった。だけど、どこにも着物なんてありゃしないし、安物のソファーにしたって、どうも下町の不動産屋といった風情だ。

「ぼかあネ、東大の英文だ、お恥ずかしいが、シェーキスペアだよ」

僕の履歴書を見ながら、Kさんは口元を緩めた。

 僕は、Kさんの発音がいっぺんで気に入ったよ。おや、ピンとこない人は口に出して言ってみるといいよ。ほら、あの偉大なイギリスの劇作家の顔が浮かんでくるだろう?

 そう、シェークスピアといえば、数年前のワークショップに売れっ子のモデルさんが参加してくれたことがあってね。芝居にはまるっきり縁がなさそうだったので、

「たまにはシェーキスぺアくらい読んだらどうかね」

と、言ったら、彼は堂々と答えたよ。

「いやあ、シェーキスぺア、読みたいんすけどね、作家の名前がわかんないんすよ」

 話が横道にそれてしまった。偉大なチー公Kさんの話をするつもりだったんだ。チー公というのはね、その話は、又今度。

冬の朝、陽射しの中で

街角の人形たち 3月公演「少女人形舞台・LOVE ME DOLL」のチラシ用撮影に付き合った。2月2日、3日の前夜祭ライブと記者会見に間に合わせるには、そんなに時間があるわけではない。早朝の待ち合わせだが、いくら朝が苦手の僕でも出演者のにこやかな挨拶にむっつり答えるのは野暮というものだ。力を振り絞って挨拶したが、空気の抜けた風船みたいに、どうもへなへなしていて締りがない。幸い、風もなく陽射しも柔らかで、穏やかな天気で良かった。

 昼前に終了、解散となり、スタッフと打ち合わせがてら昼食を摂って別れた。夕方から、2月4日の二人芝居「僕のマリィ」の稽古がある。映画監督保坂延彦氏の記念すべき俳優デビューである。この芝居の為に、保坂監督自らメガホンを取り、主演の高橋舞嬢の映像を冬の海で撮影してこられた。その映像を流しながら、監督と高橋嬢と朗読劇をやっていただく。会場はホリディ新宿、開演は19時、開場はその30分前となる。

 4月クランクアップの映画撮影中で、しかも、名作「さらば、愛しき日々よ」のDVD発売が2月5日、前作「そうかもしれない」も数々の映画賞に輝き、活躍中の保坂監督に俳優までやらせるなんて! と、関係者には顰蹙かもしれない。しかし、面白いと思ったものにエネルギッシュに挑戦されるその姿勢が、また新たな名作を生むのだ!と、僕は信じる。

青春のこわれる音

筆者近影 誰も信じてはくれないが、実は、40度の熱が出ると僕の身体は30cmほど宙に浮き上がる。家族以外で見たのは、幼少の頃の主治医木下先生と、30年ほど前に僕の秘書をやっていた小谷野勝彦くんだけだ。理由も原因もわからない。「熱に浮かされて浮いたと思っているだけなんだよ」何度も聞かされる友人はウンザリした顔でそう言う。反論すると、「じゃあ、浮いて見せてくれる?」「待ってくれ、そんなに簡単に40度の熱は出ないし、それに、あんな苦しい思いをするのはイヤだ」と、僕は悔しい思いで引き下がる。

 35歳の、上海から帰った夏だった。僕は青春のこわれる音を聴いた。府中から新宿へ向かう電車の中、窓から差し込む強い日差しに目を細めた時、突然、炭酸飲料の瓶の栓を抜いたような、ポン!という乾いた音が、胸の奥から耳に響いた。僕は、それが”青春の終わりを告げる音だと一瞬で理解した。涙があふれ出て止まらなかった。寄り添う彼女が「どうしたの?!」と、目を見開いた。僕は他の乗客に気付かれないように彼女の耳元で言った。

「僕の青春が今、音を立ててこわれた。終わってしまったんだよ」それから、新宿に着くまで、僕は声を殺して泣き続けた。

 あれから、夏が来るたびに空が青すぎる日は耳を澄ませて見るが、あの音は聴こえない。こわれたものは二度と元には戻らない。わかっていても、ついおろそかに過ごしてしまう。それが人生だとうそぶくのはやめよう。少しでも、ささやかでも、儚い思いを受け止めて生きて行きたい。いくつもの大切な思いを失くしてきた今だから、そう言えるのかもしれないけどね。
 

深夜の六本木でギョーカイヘッドロック氏に遭遇!

ヘッドロック氏 悪名高きギョーカイヘッドロック氏に深夜の六本木で遭遇した。昨年末のショーを彼のブログ(12月23日、24日付け)でこっぴどく叩かれて、(毎日2万人もの閲覧者がいる影響力多大のブログである)「見ましたよ」とか「お気の毒に」とか、しばらく同情されたものだ。

 とにかく悪口の名人である。著名人も彼の手にかかると、ペテン作家だの守銭奴だのと罵られてしまう。僕の場合、ビンボウ作家なのでまだましな方だと、これまた同情されている。

 実は6年ほど前に観た舞台で熱演されていた愛葉るび嬢と親しいらしいことを聞いて、是非僕の舞台に出演して欲しいものだとヘッドロック氏に話したことがあった。ところが、昨年末の舞台悪評をヘッドロックで見た愛葉嬢が、そんなにひどい劇団なのかと尻込みしたらしい。実に心外である。愛葉嬢には是非とも、3月公演「LOVE ME DOLL」をご観劇いただいて、誤解を解きたいものだ。

 本当に敵なのか味方なのか、正体不明な男である。30年前と変わらない黒々とした髪も本物なのか怪しい。どう見ても30代にしか見えない。30年前に大学を出て10年だったとしたら、とっくに六十歳を過ぎているはずだ。売れに売れて中国版まで出ているアイドル本の帯にも「彼女の取材を始めて24年」と書いてある。僕はこのブログを始めるにあたって、決して他人の悪口を書くまいと決めているので、これ以上追求するのは止めにしたい。しかし、いるはずもない場所で声をかけられた時には、一瞬幻聴かと背筋が寒くなった。芸能ジャーナリストというのは神出鬼没らしい。剣呑剣呑である。

少女人形舞台

少女人形舞台 LOVE ME DOLL 「男だって人形になりたい時があるさ」

青山2ラジオのカウンターで、少女人形舞台のコンセプトを熱く語った僕に、長い付き合いのYがウィスパー42%の低音で呟いた。

「違うんだなあ、願望じゃあないんだよ。美少女たちが、人形となって舞台に生きるんだよ。見えないガラスの糸に操られ、見えない薔薇の迷宮を旅する美少女たちが、観客と一体となったとき、絢爛の世界がその姿を現世に現すんだ!」

「弥勒菩薩の降臨かよ。お前、マティニー一杯で悪酔いしたのか?」

「悲しいなあ、お前には美少女だけが作り出す芸術の世界が理解出来ないのか」

「そんな夢ばっかり見てるから、ビンボーなんだよ」

 酒も食事もご馳走になってばかりいる僕は、それを言われると何も言えない。

こうなったら、現実の舞台を作って見せてやるしかない。

あの青山の夜から3年が過ぎた。

 たくさんのプロダクションさんの協力で、出演者が決定し、昨日顔合わせに漕ぎつけた。2月2日、3日の新宿ホリディでの前夜祭から、稽古に入り、一歩一歩実現に近づいていく。そして、3月17日、銀座みゆき館劇場で「少女人形舞台 LOVE ME DOLL」の幕があがる。

 長い道のりかつかの間の出来事か、それは終わってから考えることにしている。観念と感覚が違うように、あらゆる物事には原因と理由が存在する。ポストが何故赤いか?と問われて、目立つように、と答えるのは理由であり、赤いペンキで塗ってあるから、と答えるのは原因である。

 遅刻して、上司に何故遅刻した?と問われて、電車が遅れて、とか、寝坊して、と答えるのは原因である。当然上司は怒る。しかし、理由は言えない。もっと怒られるだろう。何か面倒くさくて、とか、急ぎたくなくて、とか、会社面白くないもん、などと答えられるのはポケットに辞表がある時くらいだろう。いや、それでも、本当の理由はなかなか言えない。おっと、話が脱線してしまった。

 人は経験から学ぶことが沢山ある。稽古途中でイライラ怒っていた僕も、原因と理由の二つの答えを考えるようになって、随分穏やかに過ごすことが出来るようになった。だからといって、それが成長だとも言い切れない。まだまだ、やらなければならないことは山ほどある。今日も一歩、ようやく進んだだけだ。

携帯電話からの投稿テスト

200704211539000.jpg携帯電話からの書き込みテストです。写真も添付してみた。無事に投稿出来たら、書き込みが増やせる。が、面倒なので、慣れるまで無理だろう。