六月の雨の日

 あまりにもまともすぎるタイトルにため息。

降り続いた雨が今日は小休止。梅雨の間に間に、と いったところか。

今日は、ギャラリー銀座で開催中(~15日17時まで)の、画家の黒木洋子さんの個展を覘いてきた。

黒木さんの絵は幻想的で、どこか清楚な誠実さを醸し出しているのが、とても素敵です。

絵の中に触れてはいけない何かが塗り込められているようで、あまり注視すると眩暈がする。

青と白が基調の色だが、時おり朱色が小さくおののくように画布の隅にあったりすると、

妙な胸騒ぎがする。壁にかかった一枚の絵が、

ぼくらが人数と時間を費やして作る舞台に匹敵する物語を放射している。

いや、例え30号の画布でも、画家の費やす熱量はぼくらに負けていないのだ。

黒木さんは少女人形舞台の宴もご覧くださっているので、いつか、絵のような舞台美術をお願いできたらと思っている。

赤木圭一郎の”霧笛が俺を呼んでいる”を聴いて、涙がこぼれた。初めてだ。

時間は流れている。以前、速まる時間を滝に向かう流れではなく、離陸する上昇気流だと思えと書いた。

向かい風が強いのは、速度が増したからだろうか?

行く先は宇宙の果てだ。旅すがらに思い出すエピソードはたくさん出来た。

だが、まだ飛び立つわけにはいかない。作りかけの物語が山とある。

それに、まだ別れがたい人がたくさんいる。ライブも近い。~逢えるうちにおいでよ~

 

個人的な、あまりに些細な…

 子供の頃、夏は風呂に入るのが嫌だった。(水風呂は大好きだった)

そう、昼間さんざん泳いだり野山を駆け巡ったり遊びまわっていたので、

半端な日焼けではなかったからだ。大人はどうしてこんな熱い湯にはいるのだろうと怒りながら、

体温と変わらないくらいまで水で薄めた。もちろん釜焚きの田舎風呂である。

あがる頃には水風呂になっている。

ぼくの後に入る姉や母に怒られた。

大人になったら好きな温度で自由に風呂に入ることを夢見た。いや、

風呂に入らなくても誰にも怒られないだろうと思った。

ところが、結婚したら奥さんが母のかわりに、風呂を急かせた。

ただ、文明の利器が発達して、風呂の温度が自由に変えられるようになったし、

子供の頃のように背中まで真っ黒に日焼けすることもなくなったので、

体温までお湯の温度を下げる必要もなくなった。

一人暮らしになって15年、何もかもが自由になったはずなのに、

相変わらず、風呂だけは義務で入っている。だれからも強制されていないのに、

何故か風呂に入らなければ、と、強迫観念めいた気持ちになる。

今夜も、風呂に入る時間が近づいた。たまには湯船にお湯を溜めたまま、

入るのが嫌で朝になることがある。もちろん、冷たくなっているので、追い焚きして入る。

今でも40度を超えた風呂に入ると、大人になった気がして、我慢する自分に感心する。

だからゴルフ場の風呂も苦手だ。しかし、入らないと背中に絵でも描いているのではと思われるのでは、

と、気を回して仕方なく入る。

それともう一つ、ぼくは子供の頃から、海や川だけでなく風呂で潜るのが習慣だった。

小学生の頃でも3分は余裕で潜れた。全盛期は5、6分平気で潜った 。

今でも4分は潜る。地下鉄の駅一区間は息を止めていることが出来る。

ぼくは何を自慢しているのだろう。あまりにも個人的なことなので、

ブログに書くようなことではないかも知れない。

梅雨入りして、この気圧が頚椎を圧迫し、ぼくにとっては地獄の季節が始まった。

21日のライブでおかしなことを口走らないよう気をつけよう。

深い夜の中で(そのⅡ)

 ユリシーズの一節を朗々と詠いあげる新御茶ノ水博士。*別紙参照

山田マモル、ぼんやり沈み行く夕日を見ている。

新茶博士「いいかね、マモルくん。いま、君がぼんやり見ている夕日を、

その沈み行く速度と一緒に君が夕日に向かって走り続ければ、

きみはその美しい景色を永遠に見続けることが出来るのだよ」

マモル  「永遠にですか…」

新茶博士「 そう、それが永遠ということなのだよ。

マモル君。ぼくはね、あのかぐや姫もなし得なかった月への帰還を、

      月子くんに成し遂げてもらいたいのだよ。月子くんの萎えた右足に三千人、左足に三千人、

     月の住人の末裔たちを連れて、満々と水を湛えた月に帰したいのだよ」

マモル 「博士、地球は?ぼくらの住む地球はどうなるんですか?!」

新茶博士「月に水を奪われた地球は、天変地異によってすべての生物が死滅し、

      いま天空に浮かぶ月のようになってしまうだろう」

マモル 「そんな、そんなバカな! たった六千人と月子さんとあの知恵遅れの弟や芋畑のキチガイたちのために?

      60億の人類が滅びるんですか?」

新茶博士「マモルくん!そろそろ始まるぞ!太古の昔に地球に奪われた海を月が取り返すときがきたのだ!」

突風に引き裂かれる博士とマモル。

マモル  「博士!」

新茶博士「マモルくーん!ぼくは、ぼくは、君が*‘+#$%”(轟音に掻き消される!!)

マモル  「はあー?!博士、何ですか?!」

新茶博士「ぼくは、君が(渾身で)だいすきだ!!!」

マモル 「ぼくも、博士が大好きでーす!」

ふたり、舞台上手下手に吹き飛ばされて消える。

中央の幕が切って落とされ、宙を飛ぶロッキングチェアに凛々しく立ち上がった月子、

そして弟の俊夫くん、先祖がえりして月明かりの照となった体内探検隊リーダー月蟻隊長が共に空に舞い上がり、

大団円を迎える。{「朝倉薫作・裸月物語」}より。

深い夜の中で

 今更だが、アーサー・C・クラークの2061年宇宙の旅冒頭”凍りついた歳月”の章に持ち出されたユリシーズの詩を、ぼくは何度も読み返している。

それは24年前、旗揚げ公演「裸月物語」で、新御茶ノ水博士に詠わせた詩の一節だ。

… 

…生命に生命を重ねたとて、それはあまりにも短かったし、

自分に与えられたものは残り少ない。

だが、その一刻一刻は、あの永遠の沈黙からなおしばらくは救われて、

新しい事物をもたらすのだ。そしておよそ三年ものあいだ、自分自身を、

また老いたこの魂をうちに秘めて隠したのは卑しむべきことだった。

人間の思索の最果てを超えて沈みゆく星のごとくに知識を求めようと、

思い焦がれていたものを。

……

われらを深い海が押し流すかもしれない。

極楽島に行き着いて、われらの知る偉大なアキレスに会うかもしれない。

失われたものは多いが、残されたものも多い。

いまのわれらには、古き日々に大地や天を動かした強大な力はないが、

いまあるがままのものである。

いまも変わらぬ雄雄しい心は時間と運命によって弱められはしたが、

意思の力は強く、努力し、求め、見つけ出し、屈することはない。……

アーサー・C・クラークの作品に触発されたとは思っていなかったが、

裸月物語を書いたのは1989年だったから、1987年に出版された2061年宇宙の旅は読んでいたはずだ。

いま思えばかなり影響を受けている。

レイ・ブラッドベリ、サキ、ジロドゥにイヨネスコ、ヘルマン・ヘッセからヘミングウェイ、

あげたら限がないほどの作家に影響を受けた。ある作品からは思想であり、文体であり、物語の構成であり、

要するに書くことの面白さ全般である。

蛇足のような「落ち」をつけたがるのは、落語の影響なのだろう。

歌詞を書いていてそう思った。

で、最新作の”逢えるうちにおいでよ ”は、

後半をばっさり消してみた。

何だか物足りない気がするが、これでいいのかもしれない。

6月21日のライブで発表しようと思っている。

「逢えるうちにおいでよ 」 作詞・作曲 竹内緑郎

♪電話の向こうの明るい声に

夏には帰るよと ぼくは答えた

あれは五月の 風薫る朝

電話の相手は 幼なじみ

もしもあなたに 逢いたい人があるなら

ためらうことなく 逢いに行って

交わす言葉などなくてもいいから

笑顔見せて 逢えるうちに

笑顔見せて 逢えるうちに…♪

六月の風

 東京は、梅雨入り間近かなのに、3日も真夏日が続いている。

東京に住み始めた40数年も昔から、遠い街に住む友人やふるさとの幼なじみに書く手紙には、

必ずどこかに”東京は”、と書いた。

田舎育ちのぼくには、それがお洒落に思えたのだ。

脚本を書いている。

ぼくにとって 話を作る作業は外部との接触を断つことなので、

贅沢を言えばリゾートホテルが一番嬉しい。

それも今は叶わぬ夢なので、アパートの一室にこもって書いている。

どうしても成功させたい映画の脚本なのだが、今第五稿を書いている。

何稿だって構わない。関係者が満足してくれるまで書き続ける。

と、すでに半年が過ぎた。時間は待ってはくれないのだ。

こんなときに限って新しい歌が出来たりする。

譜面に残す作業が面倒で、 放っておくと忘れてしまう。

そこでせっせと譜面におこしていると、

せっかく入り込んでいた映画の世界から 魂が離れてしまう。

こんなことの繰り返しで、もうすぐ66回目の夏を迎える。

そして無性に、離れて暮らすたった一人の倅のことが気になる。

ああ、父も晩年はこんな感情だったのだろうかと、一昨年逝った父を想う。

恩師を想い、幼なじみを想い、仲たがいしたままの友を想う。

心が千路に乱れるとは、このようなことなのだろう。 

黄昏が窓辺にせまり、六月の風が遠慮がちにそよいでくる。

逢えるうちに、笑顔を見せて…。

遠い南からやってきた祖先

 一昨年98歳で逝った父が夢にやってきた。

誕生日が3月20日だったので、生きていれば100歳かと先日思ったからだろう。

父は、長い探検旅行から帰った冒険家のように、瞳を輝かせて話をしてくれた。

生前、あの世へ逝って分ったことがあったら知らせて欲しいと頼んでいたことを忘れずにいてくれたのだ。

2万年ほど昔海に沈んだスンダランド(ムー大陸とも呼ばれている)の住民が、ぼくらの祖先だったという。

その頃起こった地球規模の地殻変動で、日本がアジア大陸から引き離されたのを前後して、

スンダランドは跡形も無く海に消えた。ある者はインド方面へ、ある者は南米大陸へ、ある者は北へ逃れた。

日本へ向かった一族は、あまり高度な文明を持っていなかったらしい。もちろん、

何処へ避難しようと、沈み行く大陸からの脱出は着の身着のまま命からがらであった。

多くの者は旅の途中で命を落とし、何代もかけて辿り着いたのは火の島だったという。

日ノ本は、火の源であった。

阿蘇、霧島、桜島、そして富士山でさえ活発な活動の最中で、一夜にして地形が変貌することもあった。

逃げ惑いながら、祖先は安住の地を捜し続けたのだ。

一つだけ忘れずに語り継がれているのが、命を救った一本マストの船の帆柱を未来永劫祭ることだった。

それって、伊勢神宮の御神体のマストのことだろうか?

父の話を聞きながら、あまりの面白さにぼくは夢であることを忘れて、

”ちょっと喉を潤しませんか”と言ってしまった。

たちまち、夢は何処かへ消え失せ、喉がカラカラに渇いたぼくは、

呆然と夜明けの薄明かりが差し込む窓を見ていた。

知りたいことは山ほどある。

父は予告もなしにやってきたので、

次もきっと突然やって来るに違いない。

あの世も輪廻も金輪際信じていない唯物論者が、夢の話を真面目に書いてしまうとは…。

芝居の稽古中に集中力が途切れたら

 6月は竹内緑郎ライブと旗揚げ劇団の演出が続いている。

はて?この集中力の切り替えは何処かで…と思い出したら、

新宿村杮落し公演の演出と月蝕歌劇団の出演が重なって いたのが、

つい2月のことだった。

ライブは6月21日で芝居はその翌週27日からなので、

2月の丸被りに比べて多少気持ちにも余裕がある。

昨夜は18時から稽古に入ったが、ぼくの集中力が90分でプツリと途切れてしまった。

洗面所に行ったりして何とか集中力を取り戻そうとしたが、うまくいかなかった。

21時まで続けたので、あとは演助や俳優に助けられながらであった。

ところがだ!

ボーっと稽古を観ていると、ギラギラした眼で演出しているときには見えなかった俳優の演技が、

違った輪郭を持って見えてくるのだ。これはいい。

観客席でも、ギラギラ舞台を見つめる人もいればボーっと集中力を切らせて観るひともいるはずだ。

そのどちらの人にも面白い芝居が出来たら、最高だ。

当然のことだが、芝居は稽古が命だ。しかも、俳優が集中力を切らしたら稽古にならない。

いくら演出家だからといって、集中力が90分しか保てないとは情けないこと明白、俳優に失礼である。

次回は18時から22時までの予定なので、初めの2時間はボーっとしてみようかな。

俳優や演助が怒るかな。

生きる

 庭の椿の木に巣を張る蜘蛛がいた。

朝露を浴びて煌めいているときなど、

その幾何学的模様と相俟って、それは綺麗だった。

蜘蛛は、定置網を張る漁師のように逞しく思えた。

雨風や鳥に破られては何度も張り替えてがんばっていた。

ある日、その蜘蛛の巣が無くなっていた。

諦めたのか死んだのかと辺りを見ると、

転がって横を向いている空の植木鉢に、立派な蜘蛛の巣が張ってあった。

苦難の果てに安住の地を見つけた流浪人を思わせる蜘蛛は、

美しい巣の真ん中で堂々と獲物を待っていた。

彼は学習したのだろう。

雨風も凌げて鳥の邪魔もされない格好の場所を見つけたのだ。

だが、俯瞰で見下ろすぼくには蜘蛛の行く末がなんとなく気がかりだった。

果たしてそこは、獲物を捕らえる狩りの場所として相応しいのだろうか?

地面すれすれの植木鉢の中まで、蝶や羽虫は飛んできてくれるだろうか?

むしろ、ムカデや蟻に襲われやしないだろうか?

人間同士ならお節介も焼いただろうが、相手は言葉も通じない蜘蛛である。

ましてや、自信満々で引越したのであろう。

干渉は野暮なので心配するのをやめた。

それからしばらく日が過ぎた。

思い出して庭に転がった植木鉢をみると、蜘蛛は干からびて死んでいた。

若者のまなざし

 定例稽古でフォルクローレの講義をしながら、

いつものように脱線に継ぐ脱線。

いつの間にか、ジョセフとハリーの”ジョセフの窓 ”にまで飛んでいた。

脱線しては軌道修正しながら進めた講義は90分の予定が120分を超過。

それでも集中力を絶やさずまっすぐ見つめる若者たちの瞳は何て素敵なのだろう。

向かう道を見失わないで欲しいと いつも思う。回り道はいい。道草もいい。

だが、憧れた夢の世界への道は、決して諦めないでもらいたい。

ぼくが学んできたこと、経験で得たこと、失敗したこと、伝えられるものは何でも伝えたい。

そして、彼らもいつか、ぼくを懐かしみながら次の若い世代に伝えてくれるだろう。

感傷ではなく、ぼくはそんな若者たちに大きな勇気と生きる力をもらっている。

ぼくは、若い日に師匠を見つめたまなざしを今も持っているだろうか?

そう自分に問いかけてみる。決して失くしてはいないはずだ。

若い日の夢は幸運にも次々と叶えられて生きてきた。

まだまだ追いかけている夢もある。

ポケットの中で小さく磨り減っていたとしても、その夢のかけらを握り締めて進む。

それが生きるということ だろう。

ブログと日記

 今更だが、ブログと日記は似て非なるものだ。

子供の頃からの習性で日記を書いているが、

他人に見せるには恥ずかしすぎて毎年焼き捨てている。

ブログは、インターネットを始めた後のことで、まだ十年にもならない。

こちらは、当然のことだが、読まれることを覚悟で書いている。

それに、書いたぼくが消去しても誰かが保存していればすぐに取り出せる。

機密保護法によれば、数十年前のブログの発言を証拠に逮捕することも出来るらしい。

迂闊なことは書けないのである。だから、多くのブログが、今日何を食べたとか何処へ行ったとか、

他愛の無い内容でお茶を濁している。

ぼくもまた、夢の話や芝居の話がほとんどで、政治や経済や事件に関しては発言を控えている。

しかし、ぼくのブログではメッセージを受け付けていないので、どなたに読んでいただいているのか、

読者の姿が皆目見えない。

最近、フェイスブックを始めたのだが、こちらは友だちばかりなのでほとんどが”いいね”となる。

ときどきブログを更新しましたとフェィスブックに載せるのだが、反応は判らない。

もっと面白い話を載せないと!劇作家だろう?といった声が聴こえる。

そう言われると、とたんにブログを書きたくなくなる。こまったものです。