稽古場を出ると、そこは!?

 昼過ぎから地下の稽古場にこもりっきりだったので、23時に地上に出て驚いた。まだなごり雪というには早いが、東京は雨から雪に変わっていた。W氏は今頃ロンドンで「オペラ座の怪人2」を観劇中だろうな、と思いながら、ぬかるむ舗道に足を取られぬよう、家路を急いだ。預かった小道具の銃器類が重かった。

 明日が最も冷え込むらしいと天気予報にあった。W氏にオペラ座のパンフレットを頼んだが、帰ってブログを覘くと、のん気にアビー・ロードの横断歩道を歩いている写真が載っているではないか。いや、見かけと違い本当は誠実な男だから、きっと買ってきてくれるはずだ。楽しみに待っていよう。

 アカデミー賞とは関係ないが、イギリスのジェレミー・アイアンズという俳優が贔屓だ。古くはディビッド・クローネンバーグ監督作品の「旋律の絆」新しくもないが、エイドリアン・ライン監督作品の「ロリータ」の演技は、僕の舞台に参加してくれる俳優さんたちによく薦めている。会ったことはないが、1948年生まれの作品に真摯な俳優である。

 今回、特別出演で快く参加してくれた伊藤アルフさんの役は、老体の腹話術師、酒浸りの猿回しの親方、そして、人類が環境に合わせて作ったヒューマノイドの最後の一体の三役だ。舞台で消耗するエネルギーたるや想像を絶する凄まじさだが、毎日全力で演じてもらっている。新人俳優たちには、その姿勢だけでも勉強になると思う。ジェレミー・アイアンズをダブらせて、本当に感謝しながら稽古している。

  夜明け前にバスタブにお湯を張って身体を沈めると、必ず短い夢を見る。数年前、溺れかけたことがあるので、お湯は少なめに張っている。だからといって安心して眠っているわけではないが、変身ものや、幻想譚など、奇妙な夢が多い。書きとめてはいるが、小説に出来るほど物語があるわけではない。夢は実にシュールで、何かの暗示かと思って探っても、その正体を容易には見せてくれない。那由多の上の位は不可思議だが、それはもう数えられない途方もない数のことらしい。人生もまた、不可思議というしかない。

東京は今日も曇り空だが、

 今年のアカデミー賞は「ハート・ロッカー」が監督賞をはじめ6部門を獲得したらしい。ブログにアバターなどと書いた僕は、映画通の友人に笑われた。しかし、ハート・ロッカーをまだ観ていないので何とも言えなかった。いずれにしても、侵略や戦争を描いた映画が延々と続いている。地球に人類が文明を持って以来、戦争のなかった年は未だかつてないのだから、当然ではあるのだろう。僕だって、遠い未来を描きながら戦いのシーン、人が死ぬシーンを舞台にしているので、批判する立場にはない。

 公演のパンフレットに毎回、劇団主宰としてあいさつ文を載せている。今回もまた締め切りが迫った。これから稽古場近くの喫茶店で仕上げなくてはならない。主演のサルとドールの対談記事の企画もあった。気圧の変化で古傷の頚椎が軋む。東京は今日も曇り空だが、舞台の本番近くになると、あれやこれやと慌しくて情緒を楽しむゆとりもない。

 春は新人の季節だ。僕の舞台の新人たちにも、思いっきり花を咲かせてやりたい。曇り空でも稽古場は熱い。今日も23時まで。

稽古三昧

 今日から稽古時間が13時から23時になって、一日をほぼ稽古場で過ごすことになる。ヒロインがダブルキャストなので、最低2回は通し稽古をやるのだが、稽古はやりすぎるということはない。そういえば、今日はアカデミー賞の受賞式だ。そろそろ決まっている時間ではないかな。元夫婦の監督作品が賞を争うなど、話題が豊富で随分盛り上がっている。作品賞はアバターで決まるのではないかな。

 僕はこれから出演者の衣装を担いで稽古場へ向かう。空は低く垂れ込め、今にも雨が落ちて来そうな天気だが、身体の具合に反して気分はすこぶる良い。稽古が順調なのが一番である。いつになっても、本番が近づくとワクワクしてくる。では、出発。

今宵も雨は降り止まず

 3月17日に初日を迎える「少女人形舞台・LOVE ME DOLL」の稽古に通う毎日。雨が降ったり止んだりの愚図ついた天気が続いている。そんな天気に反比例して、稽古場は明るく熱気に満ちている。昨夜通し稽古をやったが、予定の100分を10分ばかり超過した。人間のやることだから、机上のプラン通りにはいかない。縮めて5分といったところだろうか。

 挿入歌を舞台で歌ってくれるHIROKA嬢が、何とも素敵だ。勿論、ヒロインの高橋明日香嬢も矢嶋潤奈嬢も舞台で主題歌を歌う。こちらも、なかなか味があって楽しみだ。一方がドールを演じるとき、もう一方が歌と踊りを担当する。なので、ダブルキャストといえども毎回二人とも出演する。人形は二宮ゆりえ嬢とりょうか嬢、そして、振付を担当した西本早希嬢も特別出演することになった。是非、お見逃しなく。バイオリンの小栗あずき嬢も加えて、総勢6人の人形が歌い踊る。「少女人形舞台」の幻想的で不可思議なパフォーマンスをお楽しみに。

 先日は、高校時代の友人Oさんが差し入れを持って稽古場を訪ねてくれた。楽団の指揮者であるOさんに天才音楽家ゴーガン(杉山沙也夏嬢)にアドバイスをもらったりして、差し入れの生シュークリーム共々、実に嬉しい訪問だった。女性だけのカンパニーの所為か、甘い差し入れが多い。皆、ダイエットがどうとか騒ぎながらも、しっかりといただいている。疲れには甘いものが一番である。いよいよ、初日まで残すは10日となった。気合いを入れなおそうか!

熱血青春漫画

 LOVE ME DOLLの稽古場風景をドキュメントで追いかけていたら、熱血青春漫画のようなシーンがいたるところでくりひろげられ、面白いだろうなと思う。少年役や酔っ払い役など考えもしなかったであろう芝居に全力でぶつかる少女たちの泣き笑いに、いつも胸を熱くさせられる。

 はっきり言って脚本が難しすぎる。演出が高度な演技を求めすぎる。稽古の時間が少なすぎる。それでも、文句ひとつ言わず、明るく元気に走り回っている。劇中の台詞にある「後ろを振り向くな!」「過去を振り捨てて!」「前を向いて行くんだ!」を、そのまま実践している。稽古も残すは1週間と数日となった。ドキュメントのカメラは回っていないが、僕の心のフィルムにしっかり焼き付けてある。このカンパニーで千秋楽のカーテンコールを迎えるまで、突っ走ろう!

蛤の潮汁(うしおじる)

 友人が自宅を改装して日本茶専門の喫茶店を開いた。今のところ、宣伝もしないので、友人知人にご近所の方が立ち寄られるだけだが、栄養学も修めているので料理も玄人である。

 昼に立ち寄ったら、今日はひな祭りということで、雛寿司に蛤の潮汁が出た。菜の花を浸した蛤の潮汁は絶品であった。拙作「桃のプリンセス」で、妻と別れて和食から洋食党になったギャングのボスが、訪ねて来た元妻に「ああら、今の季節だと潮汁に舌鼓を打って、ううん、ニッポン人って唸っていたのはどなただったかしら?」と嫌味を言われるシーンがある。あの頃僕はかなり和食に凝っていた。

 10数年ぶりに美味い潮汁を頂いて、友人と話が弾んだ。ちなみに、「さくらカフェ」と名付けた喫茶店は中野坂上の駅から5分の場所にある。夜は予約のみの懐石料理らしいが、まだ行ったことはない。昼は11時半から14時まで、予約もいらないので静かにお茶を飲みたい方は是非訪ねてみていただきたい。そういえば「さくらカフェ」でホームページを開いたとも聞いた。

集中力が明暗を分ける。

 バンクーバー冬季オリンピックのニュースを見ながら、世界の歴史に名を残すライバルたちのことを思った。浅田真央とキムヨナ、フィギアスケートの金メダル銀メダルを分けた二人の戦いの後のコメントは、実に印象深かった。金を獲ったキムは「無心に滑れた」と言ったが、浅田は違った。一回目のトリプルアクセルを成功させ、二回目のトリプルアクセルを飛ぶとき、一瞬「この技が成功すれば9点が貰える、と思ってしまった」と、悔しそうに語った。

 持久力は、トレーニングの積み重ねと体力の増強で力をつけることが出来る。しかし、集中力というのは、体力面に加えて精神力、つまりメンタルトレーニングが重要な課題となる。これは、体育界系の精神修行とは似て非なる医学的な要素が最も大切らしい。と、いうのを女子ゴルフのチャンピオン、モニカ・ソレンスタムのコーチだったピア・ニールソンに師事し、アメリカツアー開幕2連勝を飾った宮里藍の新聞記事で知った。

 ピア・ニールソンの「ビジョン54」は、18ホールをすべてバーディで回るという途方もないビジョンである。アニカ・ソレンスタムはその教えを実践して女王となった。宮里藍にどんなビジョンを叩き込んでいるのか、それはわからないが、きっと、途方もない前向きなビジョンであろう。

 演技もまた、限りなく前向きな姿勢で取り組んだほうがより上達する。10回やっても上手くできなかったら、20回やればいいと思うことだ。いや、100回、1000回やればいい。そんなに稽古したらだれでもやれるよ。そう思うならやればいいのだ。成功した人間は、神頼みや偶然を期待しないで黙々とやるべきことをやっている。

 そこにライバルがいれば尚燃えることが出来る。競い合ってより高みを目指せるからだ。だが、ライバルには勝つか負けるか、宿命が待っている。浅田は自己ベストを出しながら2位だった。辛い結果であろう。幸い、演技者にははっきりと白黒をつける基準が曖昧だ。アスリートより傷つくことは少ない。

 3月公演「LOVE ME DOLL」のヒロインはダブルキャストである。矢嶋潤奈嬢と高橋明日香嬢が演技を競い合う。その相手役守永真彩嬢にしても、同じ女優としてライバル心が芽生えないわけはない。稽古場でも、凄まじい集中力が必要となる。初日まで2週間となった。稽古もいよいよ熱をおびてきた。ここからは精神力と体力の勝負である。カンパニーのみんなに怪我や病気のないことを祈っている。勿論、演出をする僕が倒れては洒落にならない。経験から、体力は温存するのではなく増強するのだと確信して取り組んでいる。すべては日々の積み重ねである。

花冷えの夜に

 もう3月だ。早い早い!筒井康隆の漫画にあるように、時間は滝に向かって流れているようだ。滝つぼは間近なのかも知れない!と、言うのは大袈裟で、実は朝から晩まで芝居の稽古が続いている。3月17日の公演初日まで、稽古場と寝る場所の往復である。三度の飯より芝居が好きなので、楽しくて仕方がないのだが、演出を受ける俳優さんたちは大変だろうと思う。特に、今回の主演守永真彩嬢や、ヒロインの矢嶋潤奈嬢は、ほとんど初舞台。ダブルヒロインの高橋明日香嬢にしたって、去年の8月公演が初舞台である。

 そういえば明日は桃の節句だ。姉や妹と暮らした子供の頃は、華やかな雛人形と女の子の秘めやかな祝い事に胸がときめいた。緋毛氈と雪洞、嬉しいのかつまらないのかわからない顔をした雛人形を見ながら物語を思い浮かべたりした。5,6歳の少年の他愛無い妄想だが、姉たちは喜んで聞いてくれた。12,3歳になり、妹に語ってあげる頃には推敲されて少しは物語らしくなっていた。いくつか考えた話の中で、後年「桃のプリンセス」として舞台になり、ビデオ(ワーナーパイオニア社)になった作品もある。本当に三つ子の魂百までだ。

  稽古の合間に8月公演の準備をしている。オーデションは3月下旬から4月上旬と決まった。オーディションを受けてくれる方には、8,9,10日の稽古に招待しようかという企画もある。作品は’96年の新人公演「月光の不安」を大幅に改稿した。少女人形舞台第二弾、勿論女性だけの出演だが、「女性に見える方」も是非ご参加いただきたいと思っている。

喜多方さんの失踪

*フィクション

 舞台演出家公平くんの友人喜多方さんの突然の失踪は謎だらけだった。

勿論、それは公平くんにとって謎だらけで、喜多方さんには止むに止まれぬ事情って奴があるのかも知れない。連絡が取れなくなって3週間後、喜多方さんの妹じゃらさんが公平くんを訪ねてきた。じゃらさんは25歳で、38歳の喜多方さんより13歳若い。小柄で目鼻立ちがしっかりしている。公平くんは、彼女が女子大を卒業するとき、喜多方さんに頼まれて卒論の仕上げを手伝ったことがある。「ブレヒトの三文オペラと近代ヨーロッパの社会事情」というのが、卒論のテーマだった。お礼に食事をご馳走になった夜を加えて彼女には3回会っている。卒業して丸の内の大手商社に勤めていると聞いていた。

 先に喜多方さんのことを書こう。フリーの舞台美術家喜多方さんと同じくフリーの舞台演出家公平くんは、最低年に3回は一緒に仕事をしていた。東京に二千の劇団が活動していると言われているが、ほとんどは気心の知れたスタッフ同士ですることが多い。公平くんに演出の依頼があったら美術家は喜多方さんにお願いするし、喜多方さんも公平くんを呼んでくれる。

  「僕はね、マックドナルドの時給より少ない仕事は請けないことにしてるんだ」

 無精ひげを両手でなでながら言った喜多方さんのポリシーを公平くんはとても素敵だと思っている。計算したことはないが、公平くんは頼まれたらどんなに安い仕事でも、演出の仕事なら引き受ける。幸い何とか暮らしていけるが、喜多方さんに言わせると感心しないらしい。

 「僕らの仕事は、実に不安定だろう。だから、貯えだけはしっかりやっておく必要がある。そうすれば、気乗りのしない仕事は断れるし、逆にやってみたい仕事は手弁当でもやれるだろう?」

 そんな堅実な考えをする喜多方さんが何の連絡もなく失踪するなんてありえないことだと、公平くんは思っていた。妹のじゃらさんに話を聞くまではね。

(つづく)

昼下がりのハムレット

*フィクション

 舞台演出家の公平くんはセックスのあとにしかオムレツを作らない。シャワーを浴び、バスタオルを腰に巻いた格好でキッチンに立ち彼女の為にオムレツをつくる。

 弱火のフライパンにバターの塊を落としてから卵を割ってかき混ぜる。塩、ペッパーを少々まぶし、注文がない限りプレーンにする。バターが溶けたら、火を少し強めにして卵を落とす。ヘラですばやく表面をかき混ぜ、フライパンを傾け、卵を出来るだけ柔らかく丸める。納得いく出来栄えのオムレツを作るまで5年かかった。美味い店があると聞けば必ず食べに行った努力の結果だ。

 10年前に、同棲していた女優の千寿さんと別れて、独り暮らしの淋しさからオムレツを作り始めたらしい。彼の見事なオムレツを食べたことのある女性は、したがってそんな関係だと事情通には認識される。

 「公平ちゃんのオムレツ、チョーおいしいんだ!」

BテレビのプロデユーサーMさんのお気に入りだったグラビアアイドルのきのみちゃんが思わずタレント仲間に口走ったおかげで、Bテレビ後援の舞台演出をおろされたこともあった。以来、公平君はタレントを誘わないように心がけている。

 公平くんが女優さんにもてるのは、オムレツ作りが上手いからではない。その演出が限りなく優しいからだ。例えば、台本の読み合わせでも、女優さんがとちったり誤読しても何も言わない。発声が出来てない女優さんが小さい声で読んでも優しく頷いている。そして、お疲れ様となったあとで、演出席に手招きし、誤読は丁寧に修正してやり、声の出ない女優さんには簡単な発声法を手をとり教えてあげる。その間も、微笑みは絶やさない。公平くんが眉間に皺を寄せるのは、深夜演出プランを練るときくらいだろうが、だれも見たことはない。

 親しくなると、公平くんはハムちゃんと呼ばれる。名前の漢字が公なので、上下分解しただけなのだが、小動物ぽくってよけいに親しみが増すようだ。

 「36歳にもなってハムちゃんはないだろう」

と、友人の喜多方さんは多少ジェラシーを込めてそう言う。

(つづく)